005 スイカバーが好き <下>

(↓前編からの続きです)

004 スイカバーが好き <上> - やなせ京ノ介の好きなことを好きなだけ話すブログ

 

『横井くんの思い出 (後編)』

4.

 同じネタをやってもいつもウケる・とにかくウケる…あまりにウケるのが気持ち良かったので、リーダーである僕の決定で「2時間目と3時間目の間の15分休みだけじゃなく、昼休みもネタをやろう」と言うことになった。結果として、これがドンキーズの転落の始まりだった。

いつもウケる・とにかくウケる…のは、ドッジボールやキックベースをやってもすぐに終わってしまいロクに遊べない15分休みの尺、そこへ来てのちょうど良さにニーズがあったからだ。

それを客観的に分析など出来る訳がない小5の僕は、「ウケるのが気持ちいいから」という理由だけで、昼休みにもやればウケるだろうと短絡的な考えを持ってまったのだった。

 

 結果、給食後の長い昼休みには皆、いにしえからのキラーコンテンツであるドッジボールやキックベースに向かってしまい、床上浸水で保険金が下りるレベルのハイパー水物であるドンキーズのネタはコンテンツとしての魅力がなく、観客自体が少なかった。

 そのままネタは披露したが、まさに”水”を打ったような静けさ。

はじめての「スベる」経験に焦りまくり、ネタも飛ばしてしまうなど散々たる結果となった。

 

 それでもウケたときの感触が忘れられず、昼休みのネタ披露を数日間強行し続けた。

皆は徐々にシラケはじめ、廊下で「ドンキーズつまんねー!」と大声で叫ぶ人が出る始末だった。かつての人気者の姿は見る影もない、まさに惨状である。

 最終的には、いつも熱心にファンでいてくれて、いつも必ずショートコント『スマイル』で笑ってくれる河合くんだけが1人ぽつんと観客の日があった。その河合くんすらショートコント『スマイル』で笑わなくなった。

 近年、”一発屋芸人特集”のような番組で、「人気がある時期の過剰露出はいけない」ということが語られているのを見るが、それが常識となる数十年前に、北海道の田舎町の小学生コンビは身をもって1/10000000000ぐらいのスケールでそれを経験していたのだった。

 

5.

 そしてその不和は当然、観客だけではなくドンキーズ内部にまで侵食していた。

“ドンキーズ終わりの日”は確実に近づいていた。

 

 ある雨の日の昼休み。サッカー少年団勢が「雨で遊べないから見てやるか」とドンキーズのネタ披露に、久々に大挙したのだ。

最近ではほとんど客がまばらになったかつての人気興行の興行主(僕)は大いに張り切った。その張り切りとは裏腹に、すでにキックベースのほうに心を惹かれている横井くんには熱意は全くなかった。

それにも気づかずいつも以上に力 -リキ- を入れたネタ披露をする僕、かつてなら大爆笑だったショートコント『宅急便』のオチ「そっちのサインかい!!」(野球のキャッチャーのサインをする横井くんに対して)のツッコミも必要以上に力んだせいで全くウケない。ウケるはずがない。このオチは本当に小学生小学生・モア小学生しているけど、今もダジャレ好きだしほとんど変わらないかもしれないということに多少落ち込んだほうがいいのかもしれない。

 

 全30本予定のショートコントのうち、折返しの15本を過ぎても全くウケなかった、そこで事件は起こった。

 横井くんが一切のセリフや動きを拒否し、一切動かなくなってしまったのだ!

段取りやボケはおろか、何を言っても何も動かない。最初はなんとか小学5年生なりにツッコミながら場をもたせていたが、いよいよ全く何も言わなくなってしまった横井くんを前に、こちらもとうとう何も言えなくなってしまった。まるでウイイレのネットワーク対戦で相手がコントローラーを置いてしまったような状態だ。ウイイレなら相手が操作しないうちにバンバンゴールを決められるが、こちらは全く笑いのゴールが決まらない。(このくだりも0点)

 

 しびれを切らし焦った僕が「まじめにやれや!!」と言うと横井くんは、それ以上の大声で「もうやりたくない!!!」と返した。温厚な彼からは、サッカー少年団の試合中の指示でしか聞いたことがない大声だった。

 

 返しに困った僕。15秒ほどの沈黙の後、考え抜いて「…まじめまじめまじめ、COLT言うてみい」と、当時の三菱COLTという車のCMのキャッチフレーズからサンプリングした。

横井くんはまた、15秒ほど考えた後「…………まじめまじめまじめCOLT………」と本当にまじめに言った。何故か、昼休み興行をスタートしてからはじめてウケた。

3回ぐらいそのやり取りをした。

しかし、僕の考えたショートコント『宅急便』ではなく、喧嘩のアドリブがウケてしまったことに悲しくなったのと、一度も喧嘩したことのない仲良しの横井くんと、こんなことで喧嘩をしてしまったのが情けなく「今日で解散だわ!」と無理やりネタを終わらせ、笑い声を背にして僕らは逃げるように場を去った。

 

 僕が勝手に脳内で妄想をして巻き込んだことで、横井くんのドッジボールやキックベースの時間も奪ってしまった。やっていて楽しいうちは良かったが、つまらなくなってしまってからも、優しい横井くんはそのことを面と向かって僕には言えなかったのだろう。あまり記憶はないが、泣きそうになる気持ちを抑えながら横井くんに謝ったと思う。小5ながら、家に帰ってからとても申し訳なく切ない気持ちになったことは覚えている。

 その日以来、15分休みのショートコントも、昼休みのネタ披露も、無論お楽しみ会でのネタ披露も(お楽しくないから)しなくなった。

 

 ほどなくしてドンキーズは解散した。横井くんとは疎遠になった。と思いきや、ドンキーズ結成以前の普通の友人関係に戻り、またドンキーコング64がんばれゴエモンでろでろ道中の2周目に興じていた。お互い、周りの友達も含め、何事もなかったかのように誰もドンキーズの話はしなくなった。

 

6.

 結果僕と横井くんは、周りの友達含め小6までずっと仲良しのまま卒業した。しかしどういうわけか、中学生に上がってからのクラス替えで別々のクラスになってから、一気に疎遠になってしまった。ああいう意味のわからない事件があっても仲良く出来たのに、つくづくクラス替えという制度が持つ人間関係変質作用は不思議なものである。

 中1のとき、横井くんから「最近しゃべってないね」というメールが来たことを覚えているが、なぜか返す言葉が思いつかず返信できなかった。まじめまじめまじめCOLTのCMももうやっていなかった。

 

 二十歳になり、酒が飲めるようになって、21歳の正月の帰省のとき同級生の大勢(20人ぐらい)が僕の実家に集まったことがあった。

そこで横井くんと再会した。

 

 その会で誰かがテキーラの瓶と、ショットグラスを大量に持ってきていて、全員でショットで乾杯しようという流れがあった。いかにも20代前半っぽい飲み方だな、と渦中でも思っていた。

 

 はじめてのテキーラショットに面食らいながら、隣に座っていた横井くんに、

 「いやぁ~これだけ(度数が)きついと明日声出なくなりそうだね」

と言うと横井くんは

 そうだね。

と当日中にもう声が出なくなっていた。

 全く変わっていない姿が懐かしかった。その日はみんなで朝まで飲んだ。もちろんドンキーズの話は全く出なかったし、僕も忘れていた。

 

 ここからが本題だが、スイカバーが好きだ。あの色合いや大きさ、種と本体と皮の配合のバランスが大好きで、夏になると必ず一本は買って食う。皮の部分が一番ウマイと思うのはひねくれているだろうか。

 そういえば横井くんの幼少時のエピソードで「スイカバーの種を本物の種だと思って全部捨てていた」というものがあった。小学生小学生したジャッジの中でこのエピソードは爆笑だった。

 スイカバーを見るとドンキーズのことを思い出す。この夏もちょっと思い出した。

 

 いつかドンキーズを再結成して小学生当時のショートコントをやってみたら一体どうなるのか、と考えることがあるが、

懸念点は代表作『回転寿司』が、「爆笑オンエアバトル サマースペシャル2002」で江戸むらさき坂道コロンブスがユニットで披露したショートコント『流しそうめん』の丸パクリであること、それだけが気がかりだ。

当時、兄貴が居て毎週オンバトを録画していた”やっち”にこのことを指摘されて泣いた。本当にろくでもなかった。

 

<完>