011 外国人から見た勘違いした日本像が好き(後編)

(↓前編からの続きです)

010 外国人から見た勘違いした日本像が好き(前編) - やなせ京ノ介の好きなことを好きなだけ話すブログ

 

『HOW DO YOU LIKE JAPAN? ~日本はどんな感じでっか?~(後編)』

 

3.

 そもそも何故この様な描写が好きなのかを考えてみる。

今まで誰にも上手く伝えられたことがない気がするのだが、旅行ではじめての地を訪れると必ず「もしも自分がここで生まれ育ってたらどういう人になっていただろう」ということを少し想像する。

 

 旅行ではじめて行った地で目の当たりにする景色は、基本的に全て新鮮だが中でも強烈に特徴的で、ストレンジャーの自分にとっては「この地を象徴するランドマーク」のように映る建物や風景が必ずある。

旅行から帰ってきた後に思い返すと、そのランドマークの風景と共に真っ先にその地のことが思い出されて、そこから関連する思い出を紐解いていくことが多い。

 ただ、そのランドマークも、その地に住んでいる人にとっては大まかな日常の風景の一つで、通勤路だったり通学路の一部分だったりする。旅行者として訪れた自分とは見え方が全く違っている。

 当たり前といえば当たり前だが、同じ風景で見え方が違うことが時々不思議になる。このランドマークや風景が住んでいる人とっては原風景的になっているのだとすれば、美意識や趣味趣向の根底に少なからず影響を与えているだろう、と想像する。なので、単純に慣れや習慣から徐々に変質していくということでは片付けられないぐらいに、自分にはこの不思議が魅力的に映る。

美意識や趣味趣向が違えば、聞く音楽や着る服といった普段接するものや身に付けるものの選択から違っていくだろうし、たとえ家族構成や兄弟の中での生まれ順が同じでも、考え方や生き方も全く違う人間になっていたのではないか、と思う。

この理屈は自分で書いていても当たり前と感じるが、そういう理由から、旅行地を訪れた時は風景を見ながらここで生まれ育っていたらこういうものが好きになってこういう人になっていたかもしれない、と想像しながら歩いているのが楽しい。

 

 そして、そのランドマークが大まかな日常の風景と映っている現地の人たちにはもう、旅行者である自分のように新鮮で象徴的だ、という印象でその風景を見ることはできない。

少し範囲を広げて考えてみると、自分含めた日本人は、この国の慣習や風習となってしまっていることや、街の成り立ちや日本文化について、知らないことは「へぇ~こういう文化もあるんだ」というぐらいには思って新鮮かもしれないが、異国の人から見た根本的な不思議さ・奇妙さ・驚きを持って感じるということはなかなか難しい。

 それが、映画作品などを通じて具体的な画として示されることで「日本ってこんなふうに見えているんだ。言われてみれば奇妙なんだろうな~」と納得するし、新鮮な驚きをもって再解釈出来ることが楽しいので好きなんだと思う。普段やり過ごしている普通の風景に、客観視が生まれる感覚が面白い。

 

 前述した『ロスト・イン・トランスレーション』の序盤のシーンで、来日したてのボブ・ハリスが新宿の巨大なネオン群を下から見上げて、いかにも奇妙だという顔をする。観客にも奇妙に映るような異物感のある撮り方がされている。

その後、慣れない日本の地で戸惑いながらも、シャーロットと共に孤独を持ち寄り、友情を深め合っていく。短い滞在での彼女との交流は、くたびれた中年のかつての映画スターにはとても鮮烈な体験となった、という出来事が本編で描写される。

 

 最後、空港に向かうラストシーンでは、冒頭の奇妙な東京のネオンサインの印象とは対照的に、黄昏時の東京の風景が非常に美しく映されている。

観客もボブの気持ちを追体験するように、映画の中の出来事がしみじみと鮮烈で美しい体験として噛み締められるような、非常に読後感の良いラストシーンになっている。

 

 撮影や演出によって、観客もボブ・ハリスとシャーロットから見た目線と同期するように、日本・東京が奇妙に見えたり、美しく見えたりする。そのコントロールや足し引きがすごく映画的だな~と思って感動する。

感動の後に、同じ街でも撮り方次第でここまで変わるんだな~と感心させされる。

 

4.

 こういった「外国人から見た勘違いした日本像」の原体験はなんだったろうか、と思い返すとそれは中学二年生まで遡る。

 ユニコーンのアルバム『ヒゲとボイン』に収録されている『ニッポンへ行くの巻』という曲がある。

open.spotify.com

ニッポンへ行くの巻の歌詞 | UNICORN | ORICON NEWS

 

 この曲は、日本の慣習について若干の皮肉を込めた歌詞が、4和音メインの洒脱なコード進行とオリエンタルなサウンドに載せて歌われている。

作者は奥田民生で日本人なので、「日本人から見た”外国人から見た勘違いした日本像”」という逆輸入的なセンスになるが、曲調も含めこの曲のシニカルで他にはない視点がかなり好きだった。三つ子の魂百までで、今もこういうセンスが好きなのだろうと思う。

 

 こういう描写が好きと気づいてからは、映画でも「外国人から見た勘違いした日本像」なシーンがあるとそこが強く印象に残ってしまうようになった。

  •  クローネンバーグ監督の『ビデオドローム』の序盤で、日本人と商談しているときの「SAMURAI DREAM」というビデオ。張り型(ディルド)にキモノを着せているところが最高だった。
  • ギャスパー・ノエの『エンター・ザ・ボイド』で映されている近未来的な東京
  • パシフィック・リムのマコの幼少時のトラウマのシーン。街に出ている看板の文字「益代&由美子剣店」「24t時間以内にお届けします」「の谷の谷というポスター」「萌&健太ビデオ」。ブレードランナーと同じように、デル・トロ氏が好きなアキバのイメージをなるべく脳内直送で表現したのだろうか。
  • モンスターズインクの寿司屋『ハリーハウゼン』の雰囲気

などを思い出すだけでワクワクしてしまう。

まだ知識が浅いので、こういう描写のある作品があったら映画以外でも教えてください。

 

 ちなみに、リドリー・スコット監督の『エイリアン』でも、ストーリーとは関係のない部分で船内に70年代の日本のエロ本の切り抜きが張ってあったりする。『ブラックレイン』も大阪の街並みが主な舞台だが、大阪の街並みがブレードランナーで描いた日本の街のイメージよりずいぶん清潔で面食らった、とリドリー・スコットが語っている。監督は、”外国人から見た勘違いした日本像”映画の大家でもあるのではないか。

 

 ブラックレインの逸話に対して「そんなこと言ったら歌舞伎町もあそこまでじゃないだろ」と思っていたが、最近インスタで日本の街をブレードランナー風に撮っている外人さんのアカウントを見つけたり、youtubeで夜の東京の街中を撮りまくっているアカウントを見つけて見ていくうちに「もしかしたら2019年のロサンゼルス、新宿にある!?!?」と思ってきた。

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5.

 自分で見た映画の感想を書きとめた後、色んな意見を知りたくて、時間があるときネット上のレビューも見るのだが、

こういう描写の入っている映画を見て「日本が誤解されている!」「日本はこんな風じゃない、これを見た外国人が勘違いしたら大問題」みたいな論調でキレまくって星1つとかにしている人をよく見る。

 「誤解しているし、こんな風じゃない」のは当たり前だし、そもそも等身大の日本を描こうとはしていないだろう。逆に我々が、”日本人が勘違いしている外国像”を何かの折に目の当たりにしていても、知らず知らず見過ごしている可能性だってある。

ティファニーで朝食を』のあのステレオタイプ丸出しのつまらない日本人キャラは最悪で論外だが(つまらないから)、少なくとも好きが高じて増幅しすぎてしまった日本人像については、目くじらを立てなくてもいいのではないだろうか。

 ある種、リアルをモチーフにした映画の中だけの都市・日本だと思いながら、こういう視点もあるのか~と余裕を持って「”外国人から見た勘違いした日本像”映画だッ!」と新鮮な気持ちで見てみてはいかがか、と思う。

 

<完>