036 人の趣味の選択・思いつきの話を聞くのが好き <中>

(↓前回からの続きです)

yanakyo.hatenablog.com

 

『母親の選択・思いつき』 -2-

 

3.

 母親は昔から思いつきが突飛な人だった。今回のオカリナも、その思いつきの一環のような気がしてならない。

 

 僕が小学3年生のとき、まだ一番下の弟のゆうじろうは生まれておらず、僕と妹二人の三人きょうだいだった。

当時は90年代後半ということもあって、テレビでは、ドラマなどのフィクション・街頭インタビューなどのノンフィクションを問わず、主にコギャルと呼ばれる人種が「ムカツク」という言葉を連呼していた。(この一行すごく隔世の感があって恥ずかしい)

テレビの影響なのか、クラスのみんなも日常会話で「ムカツク」を連呼していたし、僕もそれに無意識に影響される形で何かあれば「ムカツク」と言っていた。

 ダンレボの足4つの曲が全然できなければムカツクし、ポケモンモンスターボールを投げてABABABABAB…とボタンをガチャガチャやっても捕まらなければムカツクし、おやつを食べている時に一番下の妹が漏らせばムカツクといった具合に、何かと「ムカツク」と言っていた。

 

 それを見た母親が、ムカツクという言葉は子供に悪影響と考え、

 

「”ムカツク”という言葉を言うと短気な子になる。我が家では”ムカツク”という言葉は禁止!ムカツクという言葉を言った人は貯金箱に10円入れる」

 

という、『ムカツク貯金法』を提唱した。

衆議院参議院の機能がすべて母親に集約されていた我が家の国会では、この法は議論する間もなく通り、早速その日から『ムカツク貯金法』の施策がスタートした。

 

4.

 父親はオジサン過ぎて我輩の辞書にムカツクの文字がない人種だったため、ハナから言うことはなかった。

それとは対称的に、やはり日頃から「ムカツク」を連呼する習慣がついていて、寝るときも「ム」の口をしたまま寝ていたような小学生だった僕は、この『ムカツク貯金法』にかなり足元をすくわれていた。

 

 しかも当時、”風呂の掃除をしたら10円”という労働契約を母親と結んでいたため、1日の賃金はどう頑張っても10円だった。一日二回風呂掃除をして無駄にピカピカにすることも出来ただろうが、そんなことは求められていなかった。

 

 うかつに喋ると、もう、すぐに10円10円と罰金を取られ続けていた僕は、次第に負債が溜まっていき、タダ働きどころかもはや「ムカツクを一日何回も言うために労働をしている」という意味のわからない状態になっていた。

 

 「やっぱ一ヶ月一生懸命働いてさ~、給料日には”ムカツク!”って何回も言うと全部報われた気持ちになるね!!来月も頑張ろう!!!」と爽やかな笑顔で言う大人がいるだろうか。僕はそんな大人を見たことがない。

大人にとっての美味しいお酒やちょっとした贅沢な買い物に当たるものが、小3のときの僕にとって”ムカツクを言うこと”なんて…その不条理は当時から感じていたが、改めて振り返ると本当に不条理だ。

 

 しかも、妹たちは当時5歳と2歳で、幼すぎてまだ風呂掃除の労働すらしていない家庭内ニートだった。

二人が舌っ足らずに「ムカツク」と言ったとき、僕は「言った!言った!!」とネイマールのシュミレーションばりに主張していたのだが、ジャッジ母親の判定は「この子だちはまだ小さくてお金を持っていないでしょ。だから罰金は免除」というものだった。

 その判定に納得がいかないどころか、その判定にムカついて「ムカツク」と言ってしまい10円を払うなど、本当の泥沼にハマっていた。

 

 こうして『ムカツク貯金法』は、僕の口癖だけを治すために制定されたものであることが、徐々にわかってきた。

 1858年に制定された日米通商航海条約における、領事裁判権制度は、あまりに不平等であるということで岩倉使節団や当時の伊藤博文内閣の面々の働きかけによって撤廃されたが、時を経て1999年の北海道で再施行されていたのだ。歴史のテスト勉強では「異口(19)同音に急(9)に苦(9)労 ムカツク貯金法制定」の語呂合わせで覚えよう。

 

 その不平等さを肌で感じながら、生きづらい日々が続いた。

学校では治外法権だったので、友達と一緒になってムカツクムカツクと連呼していたのだが、家に一歩入れば罰金の対象である。

しかも、学校でムカツクムカツクと連呼していて、家に入った途端に切り替えて言わないように努められるほど、小学生の脳は器用ではない。すぐに罰金が30円ぐらい溜まって「むこう3日はタダ働きか…」と、もともと少ない労働意欲が削がれてしまっていた。

 

 終わりの見えない長いトンネルが僕の目の前を暗く覆っていた。

 

(続きます)