046 長距離バスから見る景色が好き (前編)

『やっちゃいけないこと全部やる阿藤快

 

1.

 札幌に住んでいた時、年に一回正月は実家に帰省していた。

そこまで地元愛があるとか、実家自体が好きということではないと自分では思うが、とりあえず年に一回様式として顔見せをしておいて「今年はこういう顔つきになったのか」と親族の頭に刷り込みをしておいて、もしも逮捕されるようなことがあったら迷わずに身元を引き受けてもらえるようにしておこう、という保険のための帰省だった。

実際はそんなことはなく、スゴイ美味い飯とか酒を年一で食らって、昼は実家のバカデカイテレビ画面で映画が見れればいいな~ぐらいの気持ちで帰っていた。

 

 その実家での飲み食いや映画と同じぐらい好きだったのが、帰省の途の長距離バスから見る景色だ。

札幌と地元、同じ北海道とは言え、道央~道東なので300km以上距離が離れている。だいたい5時間半ぐらいバスに乗っている。

道外出身の旅行者が「北海道に行ったら、函館山の夜景を見て、その後札幌でカニを食べて、夜は旭川に行く」などというトンデモ旅行計画を企てているのを聞いたことがあるのだが、それは移動だけで600km以上移動することになり、ましてその間に観光を楽しむとなると、新幹線でもリニアでも無理で、ドンキーコング64にあった「1」とか「2」と書いてあるプレートの上でZボタンを押すと、別の場所にある「1」のプレートまでワープ出来るアレがないとそんな移動は出来ない。(普通に瞬間移動とかのたとえで良いのではないか)

 

 そのぐらい北海道はデカイ。だから、バーとか初対面の人が何人かいる場で、同じ北海道出身者を見つけると「じゃあ二人は一回ぐらい会ったことあるんじゃない!?」的な感じでくくる人がいるが、ほとんど意識は他所の出身の人レベルなので、申し訳ないが雪のあるあるぐらいしか話せない。

桃鉄でも函館から稚内まで移動するのに4ヶ月ぐらいかかる。もっとも、リニアカードがあったり、ぶっとびカードでたまたま近くまで飛べれば別だが。分岐点にうんちカードを置かれた場合はもっとかかる。これ以上の深入りは桃鉄の話にしかならないから辞めよう。

 

 長距離バスの話に戻すと、その札幌から地元、300km以上離れた距離を、価格が安いこともあり都市間バスで移動することがほとんどだった。

間の景色はほとんど山や畑で、ときどき小さな町の風景がいくつか見える。しかも冬なので、ほとんど一面雪景色だ。

その何もないほぼ空白の景色を、年末・仕事納めをしたあとのただの移動時間、人生の空白時間として過ごす。音楽を聞いたり、耳栓をして無音の空間でただただ景色を眺めながら一年を振り返っている時間が好きだった。結構至福の時だった。脳がデトックスされている感覚があった。これが10代の頃からの年末のルーティーンになっていた。

 

2.

 長距離バスは、事故防止の観点から、飛行機のように運転手2人体制で街から街へ移動する。もっと距離が短い区間ならワンマン運転かもしれないが、少なくとも300km以上離れた場所で、しかも夜行だったりすると必ず二人体制だ。

全行程のちょうど半分の距離ぐらいになると、運転手が交代し、先発の運転手は何かトイレの前にある地下空間に潜っていく。恐らく仮眠できるようなところがあるのだろう。

 

 ある時の帰省では、30代後半ぐらいの運転手と、もうちょっと歳の行った50代前後ぐらいの阿藤快にクリソツの面長な運転手の二人の組み合わせだった。

その日は、先発が若い方の運転手で、阿藤快はトイレの前の地下空間へ潜っていった。若い方の運転手がハンドルを握り、行程はスタートした。

 

 バスの中では運転手が選んだのか、会社が選んだのかわからないが、映画が1本流れる。途中峠を超えたりするので、テレビが映らない区間もあり、その間に重宝している。最近では、タブレットで予めダウンロードしておいた動画を見る人も多いが、いまだに見ている人は多いし、自分で能動的に選んだもの以外でたまたま見たものが面白かったりすることはままあるので、普通にありがたいサービスだと思う。

 自分はというと、映画は自分で選んでじっくり見たい派なので、流れていてもあまり見ることはない。その上、景色を見てボーっとする脳のデトックスというキラーコンテンツがあるので、そちらにお熱のことが多かった。

しかし、その日は前から見ようと思っていた『6才のボクが、大人になるまで。』が流れていた。

結構長い映画で移動にちょうどよく、バスの席が最前列でモニターの前だったこともあり、イヤホンを挿して見ることにした。

 

 (この後にあった出来事のせいで)あまり内容は覚えていないのだが、序盤は結構暖かみのある家庭の様子が描かれていて、その後に父親が徐々にストレスから豹変して子どもたちに辛くあたる、という流れだったと思う。

子役の実年齢が6歳のときから、実際の成長に合わせて、何年もかけて撮影された映画ということもあり、結構リアリティがあって没入していた。子どもたちに辛くあたる描写もなかなか心に来た。

そんな矢先に事件は起こった。

 

(続きます)