064 つまらない映画の理由を考えるのが好き(後編)

(↓前編からの続きです)

yanakyo.hatenablog.com

 

『影について考える』(後編)

 

4.

 『スペースボール』について、”スターウォーズやエイリアン初めとする、名作SF映画のパロディを入れながら展開していく壮大なスペースオペラ・ギャグ!”みたいな説明を読んで、「今の俺にピッタリだ!」と思い借りた。

今なら”壮大なスペースオペラ・ギャグ!”なんて言い回しは間違いなく地雷だ、と気づくが、その頃はまだ気づかなかった。なにせ映画赤ちゃん1歳だったから。1歳と2歳では、離乳食と普通の固形食みたいに食生活から違うし、全く経験値が違う。

 

 まあまあ期待して見てみると、これが本当につまらなかった。不快なレベルでつまらない。

「B級コメディだからこんなもんでしょ」みたいに片付けてしまう人もいるが、B級コメディでも面白いのはあるし、むしろギャグ自体は、ちょっと面白くないぐらいのほうが自分にとっては面白い。

年に何回かある、見るのを辞めたくなるレベルの作品だったが、「あれだけ期待したのに…」と、勝手にこちらが期待を寄せたにも関わらず思ったし、ちょっと腹立たしくすらあった。

 

 そして、何がつまらないのか?がイマイチつかめない。けれど決定的につまらないことだけはわかっている。ここは、感想行のためにも、全部見て何がつまらないか解剖してみようと思い、何度も寝そうになる自分を奮い立たせながら、結局最後まで見ることにした。

 

5.

 本当に3回ぐらい寝そうになったけど、完走して、感想を書いているうちにつまらないと思う理由がわかってきた。

 そのつまらなさの正体は、「65点のギャグを、65%の力でやってるからつまらない」ということだった。

 

 自分は、どちらかというとさまぁ~ず・爆笑問題伊集院光など東京の芸人さんが好きでお笑いを見てきて、ダウンタウンに関しては好きだけど、熱心には見てこなかった。

それぐらいの接し方のためダウンタウンに関しての記憶は多くないのだが、感想を書く中で、昔電波少年松本人志氏がやっていた『アメリカ人を笑わせに行こう』という企画のことを思い出した。

 これは、松本人志氏がアメリカ人を笑わせるため、実際に現地に赴いてアメリカ人の笑いのツボをリサーチしながら、アメリカ人を笑わせる方法を模索するドキュメンタリー的な企画だった。

実際に現地の人たちの前でスタンダップコメディ的なことをやってウケず、松本氏がたどり着いたのが、本人演じる、家事のお手伝いをする忍者・サスケと、少年とのやり取りを描いた短編映画『サスケ』だった。

 

 この短編を作る過程で、現地の人と接し、「アメリカ人のツボには100点の笑いじゃなくて、65点ぐらいの笑いがちょうどいい。でも65点を手抜きでやるんじゃなくて、100%の力で65点の笑いを取りに行くのがベスト」的なことを言っていた。

実際に『サスケ』本編のギャグも、65点ぐらいの笑いなのだが、それをめちゃくちゃ絶叫したり真剣に100%の力でやるから僕も笑えたし、電波少年のVTRの中でも現地の人々が大ウケしている様子が放送されていた。

 65点のくだらないギャグに、100%の力で出めちゃくちゃ真剣になってる”35”差の乖離、そのギャップが面白いのだとサスケを見てわかった。

 

 それを思い出して、この映画のギャグに立ち返ると、出演者も演出する側も「65点の笑いでしょ?B級コメディってこうでっしゃろ?だから65%の力でやるよ」という手抜き感・65点の笑いを舐めてる感が全編に漂っていた。

実際、スペースボール本編のギャグ自体はそこまでつまらなくないかもしれないと振り返って思った。ただ、65点のことを65%でやるから一切乖離やギャップがなく、非現実感が生まれないから、全体的なちんぽギャグなども低調なのだった。

65点のちんぽギャグが面白くないんじゃなくて、100%の力でちんぽと言わないからつまらないんだなあ~と結びついてきた。

映画の途中に『エイリアン』のパロディで、本家でケイン役を演じているジョン・ハートが、本家と同じように腹を食い破られて「またこういう死に方かよ~」みたいなセリフを言うシーンがあるのだが、そこはちゃんとネタ元と同じように迫真の死に方だったので笑えた。言うまでもなく100%でやってるからだと思う。

 

 どのような媒体にしろ「A級S級を狙って、結果としてB級になる」のと、最初から「B級だから」と悪い意味で開き直ってB級を作るのではわけが違う。たまに後者のようにダラダラやっている作品を見ると、あまり惹かれないのは、この映画と同じような精神性が関わっているように思う。

下手でもダメでもいいし、B級にクヨクヨして何もしないよりはいいし自由にやっていいとは思うが、気持ちだけはA級S級でぶつかっているほうが面白いし、出来上がったものの輝き方も違うのではないか。この辺は、「下手なら下手のままやってごらん」という、岡本太郎の考え方にも影響を受けているが、自分はそう思う。

 

6.

 スペースボールの感想を書いて、この事に気づいてから、65点を65%でやってるからつまらないんだとわかるようになり、同じような精神性でやっていそうな作品は避けたり、つまらないものを見ても「これは65点を65%でやってるやつだ」と鷹揚に見られるようになった。

 そして、逆もまた然りで、「65点のことを100%でやってる」ものに全幅の信頼を寄せて見られるようになった。

きざな言い方をすれば、影について考えることで光もより鮮やかに見えるようになった感じがする。本当にきざだな。90年代のV系バンドのコピバンやろうかな。

 

 ネット上で、「何が嫌いかより何が好きかで自分を語れよ!」という言葉をよく見かける。

元ネタは、ツギハギ漂流作家という漫画らしい。(ワンピースという説はガセ)

 僕は不勉強でこの作品を見ていないのだが、この言葉のように基本は「好き」で語ったほうが楽しく生産的だと思うし、大人になれば、嫌いだと思っているものも何かのキッカケで好きになれたら、興味の幅も広がり、体験も増えて、大いに結構なことだと思う。

 僕も、自分の好きなものの濃度を上げるために、noteやブログを「好きなもの縛り」で書いているというところもある。それでも、時には、嫌いをよく知って、結果として好きの濃度を上げたり、純粋に好きに触れたときの純度を上げるのもいいことだ。

 

 だから、つまらないと思ったものを、つまらないからとなげうってしまうんじゃなくて、それについてなぜつまらないと思うのか考えるのもたまには良い。

なので、わざわざつまらない映画も人に勧めて、なぜつまらないのかを喋ることもしたい。けれどつまらないと確定している映画をわざわざ勧めるのも気がひけるので、あまりおいそれと出来ない。

 

 そして本当の本当につまらない映画は、その理由を考えるためにでも、最後まで見る気にもなれない。

最後まで見る気にさせてくれただけ、「つまらないけど、それが類型的で顕著なサンプル」であるだけ、スペースボールもいい映画なのかも知れないと思った。

そんなわけで、スペースボールも広義のいい映画ですので、おすすめです!!!!!!

 

<完>