068 向上心のない飲食店が好き <上>

『たこ次郎の思い出』(前編)

 

1.

 札幌に越して来たばかりの20歳前後の頃、当時深夜にやっていたモヤモヤさまぁ~ず2がめちゃくちゃ好きで、友達と”モヤさまごっこ”と称しては知らない駅で降りてウロウロしていた。

 

 今から思えば、あの番組の企画は東京だからどの駅で降りても成立することで、札幌の外れの駅は大抵がベッドタウンで、街歩き出来るほどの「街」が存在しないところがほとんどだった。

それでも田舎出身者からすれば、まだ目新しさがあったので、何もない駅でも無理矢理ウロウロしては老舗の和菓子屋で玉ドーナッツという小さいあんドーナッツ的な物を買って食ったり、古本屋を見たりして強引に成立させていた。

 

 札幌の東西線沿線には、円山や琴似など、地方ならではの「街」がある場所もいくつか存在するが、大部分は本当に何もない駅で、降りてしまうと本当に何も見当たらないので2時間ぐらいただただ歩いて結局札幌中心部に帰ってきてしまうということもしばしばあった。

もう本来の趣旨からは逸れていたが、ただただ話しながらただただ歩いているだけでも楽しかった。江戸時代に生きたことはないが、たぶん参勤交代も「大名がさ~」とか喋ってるだけで楽しかったのではないか、と予想する。歴史の知識がマジで一切ないので、会話のたとえが「大名がさ~」というのが心もとない+情けない。

 

2.

 その日訪れる場所は、行ったことない駅の中から、ジャンケンやサイコロなどランダムで決めていた。

全く期待していなかった駅が、実はめちゃくちゃ栄えていたり、意外な見どころがあったりすると凄くテンションが上がった。

 

 一度、四人ぐらいで訪れた地下鉄南北線の『北34駅』などはいい感じにモヤモヤしていた。

名前も聞いたことのない、個人経営?と思しき100均が駅の中に入っていて、本当に売っているものもどこから仕入れたのかわからなかった。普通にアクアリウムショップも併設していて、ミドリガメなども売っていた。それは100円ではなく普通に450円とかだった。

その他、ギッシリとレトロゲームのレア物を取り揃えている店などもあってテンションが上った。

 

 その中に『ヤキソーバン』という焼きそば専門店があった。小上がりとカウンターのみの小さい店舗で、何の工夫もしていない普通のソース焼きそば・塩焼きそばを出している店だった。

具は手でちぎったようなキャベツ、乱雑に切られた豚肉と、見れば見るほど何の工夫もしていない。麺もマルちゃんの3個入りの焼きそばか?と思った。

たしか、1食400円ぐらいでそれを出していた。マルちゃんの麺だから普通に味もウマイ。

飲食店すら平均的に意識が高くなっている世の中・「我が社はこういった工夫をしています」と前面に押し出すチェーン店も多い現代で、こういう向上心のない店に出会えることはレアで嬉しい。

 

 ヤキソーバンでは大食い企画も実施していて、店内に「最新大食いランキング」として上位者5位までが貼り出されていた。

今でも覚えているのだが、我々が訪れた時壁に貼り出されていたランキングで、5位は稲井さんという人だった。

店主は敬称という概念を知らないのか、そのランキングには「5位 稲井 11玉」と手書きのマッキーの文字で書かれていた。手でちぎったようなキャベツとの整合性が取れるような字体だった。

4位は忘れてしまったのだが、3位は覚えている。「3位 稲井 17玉」と書かれていた。

そして、2位も忘れてしまったのだが、1位はもちろん覚えている。ここまで来るとお気づきかと思うが、「1位 稲井 24玉」だった。

 

 ランキングのBEST5中、実に3つが稲井氏による記録だった。

ランクインした日付は書かれていなかったが、当初11玉が精一杯だった稲井氏は、どのような努力をしてプラス13玉も記録を伸ばしたのか?今でも不思議である。

あるいは、チャレンジを始めた当初に24玉の記録を出したが、加齢と共に胃のキャパシティが落ち、最後には11玉まで落ち込んだのだろうか。それでも店内ランキングに食い込んでしまうのだから、レジェンド中のレジェンドだ。

 

 もともとの参加者が少ないのか、あるいは稲井氏が頻繁に挑戦しすぎな上に規格外の食欲なのかはわからないが、稲井氏が頻繁に登場するあの大食いランキングは、田舎のゲームセンターにあるバーチャファイターのそれだった。

 

 それから何年後かに、たまたま用事で北34条駅を訪れることがあった。

ちょうど昼時だったのもあって、ヤキソーバンを再訪し、最新の大食いランキングを確認しておこうと思い、記憶を頼りに歩みを進めたのだが、北34条駅全体の改修が始まっており、再開発にあたってあの趣のある店舗街はまるまる取り壊されていた。

もちろんヤキソーバンも跡形もなく消え去っていた。タルコフスキー監督の『ノスタルジア』に出てくるあの館のように、ただただガレキと、だだっ広い空白が目の前に広がっていた。結局、昔ながらの向上心のない飲食店は、意識の高い近隣チェーン店に駆逐されてしまうのが自然な流れなのか。

 

 その無情さを残念に思うと同時に、あれだけヤキソーバンに依存していた稲井氏は大丈夫なのか!?!?かつて24玉を平らげた彼にとって、あの工夫のない焼きそばを食わない人生は、塩のない塩焼きそばのように味気ないのではないか、と勝手に心配になった。

どこかで稲井氏とヤキソーバンの店主は繋がっていて欲しい。今でも勝手にそう思う。

 

3.

 モヤさまごっこを始めた頃、僕らの中で最もホットな駅は『平岸駅』だった。当時住んでいた豊平から近いこともあり、歩いてよく訪れていた。

平岸駅周辺にある居酒屋が豊富で、つくね専門店や、888円で日本酒が50種類ぐらい飲み放題の店『根(こん)』など、記憶なくなるまで飲みまくっていた20代前半の僕らにはうってつけの店が揃っていた。浴びるほど酒を飲んで、公園でシーソーをやったりカラオケに行ったりしていた。

 

 中でも駅の地下にあった『平岸ゴールデン街』は、自分にとって魅惑だった。

ゴールデン街には、ラーメン屋・焼肉屋・家庭料理・バー・いつも全品半額の居酒屋など、様々なテナントが軒を連ねていた。

少し変わった店もあり、10円の寿司屋(字面だけ見るとコワイ。安全性とか大丈夫なのか)や、メイドカフェ、駄菓子バーなどもあって楽しかった。

あと「いつも全品半額」は、もはやそれが元値なのではないか!?!?!?

 

 常連が多い店は数年間定着して営業しているのだが、平岸という立地+地下の少し入りづらく感じる見た目のせいか、大抵の店が長くて1年~短くて数ヶ月で閉店していた。

しかし、その店舗の新陳代謝の良さが逆に楽しく、今度また新しい店が出来たから行ってみよう、と頻繁に通わせる魅力があった。

ゴールデン街で働いている人同士の仲も良く、他の店の人が飲みに来て喋ったり、ということもあった。

通っていた自動車学校が近所だったので、教習中にメイドカフェメイドさんが普通に運転している様子を見かけたりした。

 

(続きます)