070 聞き上手な人が好き(で憧れる)

『聞き上手になりたい』

 

1.

 10代後半ぐらいからずっと聞き上手に憧れ、そうなりたいと常々思っている。

心を開いた人に対してはおしゃべりで、喋る量が人並み以上に多いから「喋りまくってるだけじゃ申し訳ないから聞きまくろう」という気持ちもちょっとある。

 けれど、それ以上に「この話の見えていないアングルの部分まで聞き出したい」とか、「こちらは何も喋らなくても、相手にとりあえず気持ちよく喋ってもらいたい」という気持ちも、年齢を重ねる度に出てきた。

 

 そもそも聞き上手になりたいと思ったきっかけは、実の父親があまりに聞き下手であるところからのように思う。

父親は厄介なぐらいめちゃくちゃ変な人で、常々接し方に困ってきた。

 

 父親の性質で困ることの一つに”その時期ごとに、考え方や口癖が固定されてしまう”ということがある。ツイッター社よりずっと先に、父親には固定ツイートが実装されていた。

 

 一時期、親父の中で「云々(うんぬん)」という言葉が流行り、これが固定ツイートとなってしまった。

 

 僕が高校生当時、遠方に住んでいたということもあり、時々電話が来た。

いつも、変人の父親の世間話を一方的に聞いて、僕は相槌ぐらいしか打つ隙がないような、あまり中身のない電話がほとんどだった。

 

 そして、その一方的に話す親父の世間話の中にも、固定ツイートたる「うんぬん」がありえない頻度で登場する。

 

…「この間は店の会議やらうんぬんがあったのよ、それで車乗って100kmうんぬんぐらい走って行ったんだけど。それで5人かうんぬんで色々、うんぬん話してな。酒とかうんぬん飲んで次の日帰ってきたんだわ」

 

 実際はこれ以上の頻度だったが、本当に再現できないぐらいうんぬんうんぬん言っていた。文章で書くと余計にそうだけど、耳で聞いているだけでもゲシュタルト崩壊していた。

 

 もともと、こちらは「うん、うん」と相槌しか打っていないような中身のない電話だったが、うんぬんの勢いが凄すぎて、その意味無しの世間話さえ頭に残らず、

数多の「うんぬん」が頭をスルーして、そのうちの一つのうんぬんだけが頭に残り、電話の印象は「うんぬんって言われたなあ」だけだった。

なんなら相槌も「うん、ぬん」になってしまうほど侵食されていたかもしれない。

 

 そんなコミュニケーション・ブレイクダウンしていた親子間の電話だったが、親父としても離れた子供と接点を持ちたいんだろうなあ、と思い、意味がないなあと感じながらも付き合っていた。(ドライすぎるかもしれないが、マジで意味がなかったんだから仕方がない)

 

2.

 ある月、親父からいつもどおり電話がかかってきた。

…「この前お前の同級生の沼岡とかうんぬんいるしょ。あいつらが店来てくれたのよ。弁当とかうんぬん買ってってな、おかしとかうんぬんも。100円うんぬんぐらいはまけてやったんだわ」

 

 と、中身もいつもどおりだった。

一方的に15分ぐらい親父の意味のないうんぬん話を聞いた。

 

 当時、中身は忘れてしまったが、自分が珍しく相談事を抱えていて、その電話でせっかくなので親父に相談してみようと思った。

 

 「あの、相談があるんだけどさ」

 「そう、何よ?」

 

 意外にも食いていたので、相談事を5分ぐらいかけて話した。

「…ということなんだけど」と話し終えると、親父の対応はまさかのもので、

 

「そうか~…まあ、それもうんぬんでな、じゃあな!」とだけ言い残し、電話は切れた。

 

 え!?!?!?と言った後、呆然として笑うしかなかった。

うんぬんってそんな言葉のジョーカー的な超絶効力のあるワードなのか!?!?!?あるいはめちゃくちゃ色んな含みが入ってたのか!?!?!?

俺がうんぬんから何か汲み取ればよかったのか、とも思うが、何も汲み取れず終わった。

 

 それ以降、親父には何も相談をしなくなった。

大人になれば話せるかと思ったが、よりコミュニケーションブレイクダウンは進行するばかりで、20代後半となった今もほとんど話すことがない。

 

 ここ数年で話したのは「バナナマンの猪木のショートコントが面白い」「ブラタモリが面白い」ということぐらいしか記憶がない。

このまま行くと、親父の遺言とかも、そのタイミングでの固定ツイートになりそうだな~と思っている。

もしも間際に、うんぬんのリバイバルブームが来て、遺言状を開くと”じゃあ、あの世でうんぬんでな!”とか書いていそうでコワイ。もうそれぐらい突っ切ってくれたらいいのに。

 

 そんな父親の姿を見、彼が他人とのコミュニケーションに難儀しているところを何度も目撃しているので、自分は反面教師的に「聞き上手になりたい」という気持ちを常に持っているつもりだ。

 

3.

 人に合わせて話すのも難しいけど、人や場所のTPOに合わせて「聞く」のも同じぐらい難しい。

 僕が聞き上手だな~と思う人は、『とくダネ!』などでお馴染みの佐々木恭子アナウンサー。

ワイドナショー』の後半のコーナーにホストとして出ているのを見て、コメンテーターたちの持論を、スマートに受けとめて、広げていく姿が素晴らしかった。

相槌のタイミングだったり、話し手の文脈を乱さない質問・補足の仕方が、聞き上手の鏡のような対応でカッコよかった。

一時期は、佐々木恭子アナの聞き上手っぷりを勉強するために、目を皿にしてワイドナショーを見ていた。あのスキルにあこがれていると御本人に伝えたい。

 

 僕の好きな、みうらじゅんさんも、話すのと同じぐらい実は聞き上手だと思う。

 この間、みうらじゅんさんの講義を受けてきたのだが、最後の質問コーナーで、出席した人たちの質問の、妙なところに食いついて程よく広げ・相手の緊張をほぐし・その後本旨に対してみうら節で答える、という三拍子が揃っていて素晴らしかった。

 「相手がどうすれば笑ってリラックスして話せるか」ということを考えて・感じて話しているようで、またみうらさんを好きになった。

「話し上手は聞き上手」を地で行くような素敵なふるまいだった。

 

 やりたいことはいつも沢山あるが、常に一番身につけたいのは「話し上手・聞き上手」になるスキルだ。これらは両輪で、どちらも養っていくうちにキャパシティが上がっていくように思う。

これからもみうらじゅんさんや佐々木恭子アナを教師にして、親父を反面教師にして学んでいきたい。じゃあ、うんぬんでな!