096 「安易な"変態"という言葉を凌駕する想像力」が好き <上>

『ネオ・変態論』 -1-

 

1.

 大学生の頃、数人で、バイトで遭遇したヤバかった客の話をしていた。

その中で先輩(女性)がコールセンターのバイトをしているときに、「めちゃくちゃハアハア息上がってる変態の男に”何色のパンツ履いてるの…?”って聞かれて気持ち悪かった」と言うエピソードが出た。

 

 僕が「それで、どうしたんですか?」と聞くと、「気持ち悪いから”うわー…”って言ってそのまま切っちゃった。」とのこと。

 

 僕はこのエピソードに大変憤った。

それは、変態(とされている男)の言い回しと、対する先輩の対応についてだ。

 

 まず、こういう電話を営業中のコールセンターにかけること自体が、人の仕事を妨害しているから良くないことは言うまでもない。言うまでもないが、100000000歩譲って、そういう電話をすることについては目をつぶるとする。

 

 僕が憤ったのは、変態側の”何色のパンツ履いてるの…?”という、古典中の古典の言い回しだ。

 

 平成が始まって何年も経っているのに、変態としての言い回しがいまだに”何色のパンツ履いてるの…?”というクリエイティビティのかけらもない物で良いのだろうか?

 

 この”変態”は、自らの欲求をこういった(邪道な)行為をすることでしか満たせない、と考えたのだろう。

そして、そういった欲求は、全くの無から生じたとは考えにくく、恐らく何か変態行為をモチーフにした創作物・フィクションから立ち上ってどんどん育っていき、実際の行為に至った、と想像する。

 

 ではその育った欲求を携えて、自らも変態界の入り口に経って変態デビューしてみよう、となったときに「よし、コールセンターに電話して出た女性に何色のパンツ履いてるの?と聞こう!!!」と思い立って行動に移すって、いやいやいやいや!!!!!!!!!!想像力が死にすぎなのでは!?!?!?!?!?!?!?!?

絶対その言い回し自分で考えてないし、本当は興奮もしていないだろ!?!?!?!?!?!? 安易で典型的なところに落とし込み過ぎだろ。

何かのフィクションで見たものをそのまま流用して、何が”変態”なのか…岡山出身でもないのに千鳥の漫才コピーして文化祭に出てウケて満足しているひょうきん高校生のマインドと同じじゃないか。

 

 本当は変態でもないし、自分で変態とは何かを考えもしないでわざわざ想像力の死んだ言い回しで仕事中の人に迷惑をかける、その精神、まさにゲスの極み!!!!(自分もハマカーンの言い回し流用して説得力をなくすライフハック

 もっと本当の変態だったら、「鹿の好きな所7つ言って」とか聞いて『えっ…ツノ、つぶらな眼、せんべいの食べ方、奈良にすげー居るところとか…ですかね…もう思いつかない』「ハアハアハア…もっと言ってくれ~~~~!!!!!!!!あと8つ!!!!!!!!!!」とか工夫しろよ!!!!!!!”何色のパンツ履いてるの?”じゃないんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

2.

 先輩も先輩で、そんな”何色のパンツ履いてるの?”なんて言う古典的な言い回しに対してびっくりしすぎだと思う。

 相手は想像力の死んでいる人間である。”何色のパンツ履いてるの?”という独創性を著しく欠いたハラスメントに対して、女性が「キャー」みたいな反応をするだろうな、という本当に何の面白みのない予測をして興奮していることだろう。

このケースでは、実際に先輩が、そのような反応をしてしまったことで、くだらない人間の乏しい発想を援用するような結果になってしまった。

 

 これでは、変態側も「この死んだ想像力でこれからも変態界という広い海を渡っていける」と勘違いしてしまうではないか。

それは避けたい。自称・変態に「お前は変態ではなくて想像力のない凡人である」ということを突きつける必要がある。

そうではなくても、最低限こういったくだらない行為を二度とさせないような毅然とした対応が必要だ。

 

 なので、”何色のパンツ履いてるの?”と言われたら(こいつは想像力が死んでいる、本当の変態ではない。怯えるに値しない人物だ)と頭の中で冷静に処理し、

「黒です。明日は赤の予定です。明後日も黒です。何なら今後一ヶ月の予定をFAXや郵送で10000000000000枚送りますけど!?!?!?!?え!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!!?2秒以内にFAX番号か住所を!!!!!!!!!!!!!!!!!!」ぐらい言ってやったらどうだ。

 

 そういう想像力の死んだ人間は、乏しい予想の範疇を大きく越えた対応に「…えっ、あっ…すいません、結構です……」と萎縮して向こうから去っていくことだろう。コールセンターの電話越しのやり取りではその後、直接肉体的危害を加えられる心配もなかろう。

とにかくそんな矮小な輩の思い通りの対応になってはいけない。自称・変態には、ちゃんとファンキーな対応で返すに限る。

 

 ”何色のパンツ履いてるの?”と言う側もつまらないし、そんなことを言われて引いてしまうのも良くない。

どちらかがクリエイティブな発言さえすれば、もっともっとこの事件自体が展開して、少なからずもっと人に話せるネタになっていた可能性もある。

冒頭にも書いたが、こういった電話をすること自体が問題で、しないほうがいいに決まっているが、どうせするならばもっと頭使え!!!という方向の憤りを感じてしまう。

(続きます)

095 遊戯王カードが好き(だった) <下>

(↓前回、前々回からの続きです)

093 遊戯王カードが好き(だった) <上> - やなせ京ノ介の好きなことを好きなだけ話すブログ

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『にんていカードの思い出』 -3-

 

7.

 ある朝、学校に行くと教室に人だかりが出来ていた。

どうやら、川口の机の周りに皆が集まっているようだった。

 

 「すげー!!!」

 

 にんていカードをリリースしたあの日と同じような、高橋ゆうやの歓声が聞こえた。

何だろう?と思い、人混みをかき分けると、川口が何かカード状のものをお道具箱に入れている。僕を見つけるなり川口は、得意げに話しかけた。

 

 「おう、やなせ。俺、新しくカードゲーム作ったんだ。お前もやる?」

 

 最初は意味がわからなかった。お道具箱の中を見ると、すべてが川口の絵で書かれたモンスターになっており、ルールは完全遊戯王準拠に改正、カードのサイズはすべて統一された、新しいカードゲームが入っているではないか。

なんと、川口はにんていカードの制作から離れ「にんていカードの弱点を全てカバーした新しいカードゲーム」を、独自に開発していたのだった。

 

 周りでは、もう既に新しい川口のカードゲームを手に入れた、高橋ゆうやを始めとする面々がデュエルをしている。

 

 理解できない戸惑いと、少しの憤りがこみ上げた僕の顔を見て川口は、「どうした?やらないのか?」と続けた。(あの顔を思い出して、こいつ洋画だったら絶対冷酷に人殺してるよ!!と思う)

 

無言でカードを引いた僕。

たしかにカードの大きさも絵も整っている。しかも、”にんていカード”という親しみやすい名前に対し、何か妙な横文字だったのが腹たった。覚えてないけど、”ポッショフォアファビオ”みたいな響きだったように思う。なんかの医学用語、病理みたいな。

 

 あの大人気だったにんていカードの弱点をカバーしたカードゲーム。流行るに決まっている。(だからどちらも遊戯王カードのパクリだと言っているであろう。 声:キートン山田

なぜこんなことを…と無常感に包まれるほかなかった。

 

8.

 ただでさえ下火だった、にんていカードの人気は一気に地に落ち、誰もにんていカードをプレイすることも、話題にすることもなくなった。

クラスの話題の中心は、専らポッショフォアファビオ(みたいなやつ)だった。

 

 やりきれない思いの僕は、高橋ゆうやと並んで、にんていカードのヘビーユーザーだった平河かずきに「かずき、お前だけは、にんていカードをやってくれるよな!」と言った。藁にもすがる思いだった。

かずきはうん、と頷いた。

 

 その日はサッカー少年団がなく、まっすぐ家に帰った。

川口と同じ方向に帰りたくなかった僕は、逆方向のかずきの家のほうへ遠回りして帰ることにした。

話すことは主に、川口の愚痴、略して川愚痴だった。(こういうの思いついちゃうと我慢できない)

 

「…なんだよあいつ!!フザケやがって。こんなクソカード!!!」

川愚痴を話しながら、感情が高まった僕は、気おされて引いた川口の新カード3枚を、ビリビリに破って側溝に捨てて流した。

「これぐらいしていいよな!」と、かずきに言うと「うん、良い良い」と笑っていた。

行き場のない気持ちが何となく収まった僕は、Uターンして家に帰った。

 

 

 次の日は1時間目から音楽の授業だった。

音楽室に行くと、いきなり川口が僕の机に乗り出して、大声で怒鳴り付けてきた。

 

一体何だ?と思う間もなく、

 

「おい!!お前俺のカード、破って捨てたんだってな!!なんでそんなことが出来るんだよ!?!?」と問い詰められたのだ。

 

 僕は頭が真っ白になった。何故そのことを川口が……?だってあの時いたのは、僕と……

 

 怒鳴っている川口の後ろを見ると!ニヤニヤした平河かずきが立っていたのだった…

 

 「おい!なんとか言えよ!」と続ける川口。

たしかに、ビリビリに破って捨てたことは悪いと思っているが、そもそも出し抜こうとしたのはそっちで……

普段、言い合いもケンカも出来る仲なのに、その時は何も言葉が出てこなかった。

 

 その場でただただ大声で泣くしかなかった。という苦い、にんていカードの思い出だ。

 この話、杏里の『悲しみが止まらない』じゃないんだから!!にんていカード終わらせられて、川口にもかずきにも裏切られて!!!!!!神様いねえよ!!!と思った小4のある日だった。

www.youtube.com

 

 その後も泣き続け、「どうしたの?」という音楽の水見先生の問いかけにも応じることが出来ず、泣きながらリコーダーで宇多田ヒカルのFirst Loveを吹いたことは言うまでもない。(水見先生が好きな曲だった)

 First Loveの悲しい失恋の歌詞に共感して泣いていた訳ではない。だってリコーダーだし歌詞ないから。

 

9.

 その後、川口とは絶交した。

 そして、進路が分かれる中3まで、絶交してめちゃくちゃ仲良くなってを繰り返していた。

 

 その都度都度の理由が、俺と川口どちらにあるかわからないが、にんていカードの話はどう考えても川口が悪いだろ!笑

どうしてこんな残酷なことが思いつくんだ!?!?洋画の冷淡な殺し屋じゃねえか!!笑

しかも、川口のカードゲームも一週間ぐらいで終わっていた。本当に出し抜くためだけにやっていたのだろうか…

 

 川口と最後に会ったのは20歳ぐらいのときで、その日も楽しく飲んだ。

そこから会っていないが、結婚したという話を聞いた。奥さんに、にんていカードばりに残酷なことをやっていなければ良いのだが…

次に会ったら、にんていカードの話で「絵が下手以外に何か俺に落ち度があったのか」「完全に出し抜くためにやったのか」あたりを聞いてみたいと思う。マズい酒が飲めそうだぜ!!

 

 そして僕は今でも、友達と何か企てて作るのが好きで、懲りずにいろいろしている。

その過程で、今の所、にんていカードより悲しい思いはしていない。

 

<完>

094 遊戯王カードが好き(だった) <中>

(↓前回からの続きです)

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『にんていカードの思い出』 -2-

 

4.

 翌朝、川口との「持ってきた?」「うん」という短い会話の後、カードの管理係だった僕がクリアファイルからカードを取り出して、川口のお道具箱のフタに入れた。

 

 2時間目の休み時間、川口と僕は軽くアイコンタクト。さあ、ここからがショータイムの始まりだ。

教室の前の方に立ち、「今日から発売のにんていカードだよー」と呼びかけると、みんなは「(?)」という顔を浮かべた後に、ワラワラと川口のお道具箱の周りに集まり始めた。

 

 (遊戯王カードにとってかわるカードゲームが、川口とやなせ2人の手によって出来た!)ということを徐々に察知し始めたクラスメイトは「すげー!!!」と感嘆の声を上げた。

 

 「はいはい、一人ずつ、一人ずつね~」と、同い年なのにまるで子供をあしらうかのように言う川口。

教壇の前に、にんていカードを手に入れようとする人々の列が出来た。

 

 本家遊戯王が40枚からデッキを作れるのに対し、にんていカードは20枚ぐらいからでも遊べるようなものだった。

そのため、早い人はその日のうちにデッキを作れるほど、にんていカードを多く手に入れ、そこらじゅうでデュエルが始まり、皆が対戦に興じる光景が目の前に広がった。

僕と川口は再度、無言のアイコンタクトを交わして頷いた。共同創設者として、二人で達成感を噛み締めていたのだった。

 

 用意した在庫250枚はすぐになくなった。あまりのブームの加熱ぶりに、隣のクラスからも噂を聞きつけた人が来るほどだった。

すぐに再生産をかけたが、高橋ゆうやが1度の休み時間に4回とか引くため、すぐになくなってしまうので「一回の休み時間に一人一回まで!!」という規制まで設けられた。

 

 にんていカードは驚くほどすんなりと、クラスに受け入れられすぐにブームとなった。(そりゃそうだ。遊戯王カードとポケモンカードのパクリなのだから 声:キートン山田

僕と川口はブームの仕掛け人として、にんていカードの勃興を肌で感じていた。

 

5.

 にんていカードのブームから一週間ほど経ったある日、僕と川口は、サッカー少年団がある日以外は、川口の家に集まり、いつも新作カードを作ることに追われていた。

こんなカード作ったら、みんな驚くぞ~という、プロデューサー的楽しさを感じながら日夜制作に励んだ。

 

 第三段新作カードを持っていったある日、奇妙なことが起こった。(一週間で第三段というかなりのハイペース)

いつもどおり、お道具箱にカードを開放し、みんなが引きに来たのだが、その日は不思議とレアカードばかり無くなっていく。

お道具箱には使えないカードばかりが残って、あとの方に引いた人たちが「こんなカードばっかりかよー!」と文句を言っていた。

 

 僕が「今日なんでレアカードばっかり無くなるんだろう」とつぶやくと、「だって良いカード全部デカイじゃん~!」と軽口を叩くやつが居るではないか!

…声の主を見ると、それは他でもない高橋ゆうやだった。

 

 一回の休み時間にカードを4回引いて「一回の休み時間に一人一回まで」の規制を設ける元となるほど、にんていカードに熱中していた高橋ゆうやが、「にんていカードはレアカードのほうがサイズがデカイ」という制作者しか知らないはずの法則を発見し、皆にリークしたのであった!!!

 

 にんていカード4つの特徴のうち、僕がノリで決めた

 

・強いカード・レアカードはカードのサイズを大きなものにする

 

の法則がアダとなった。

 

 僕と川口は大いに焦った。

この法則がリークされたことを逆手に取り、今度はレアカードを極端に小さいものにし、最初は難を逃れたと思ったのも束の間、その法則さえバレるのには1日とかからなかった。

 

 それでもまだ僕は、にんていカードを諦めたくなかった。仲良しの川口君と初めて作った”作品”である。こんなことで終わらせてたまるか!と思っていた。

 

6.

 毎週月水金はサッカー少年団の練習日だった。

その中で、二人一組でパス練をする時間があった。皆、仲の良い人と組んでいて、僕はいつも川口と組んでいた。

 

 パス練中、いつもサッカーとは関係のないどうでもいいことを話していた。

 その日もいつものように僕が「もうカードなくなってきたからさ~明日にんていカード作るべ」と川口に言った。

 

 すると、川口からは、驚きの言葉が帰ってきた。

「にんていカード、(権利を)もうやなせにやるよ。」

 

えっ…と言うことしか出来なかった。川口が蹴ったボールが、コロコロ…と転がって横に逸れた。

 

 ボールを拾った後、「どういうこと?」と聞くと、

「いや、もう俺にんていカード辞めるわ。これからお前が全部やっていいよ」と川口は答えた。

そうか、と言ってそれっきり、にんていカードの話はしなかった。

 

(こんなに人気のコンテンツを手放すなんて、あいつは馬鹿だなあ)と思いながら、心のどこかで少し寂しかった。

それ以降、川口はにんていカードには一切無関心になり、もちろん休み時間に引きに来ることもなかった。

 

 翌日、わずかに残った在庫と、僕が一人で考えた新作カードを加えていつもどおり休み時間みんなに引かせた。

リリース当初ほどのブームではなかったが、まだにんていカードの関心は高いもので、高橋ゆうや、平河かずきを始めとしてヘビーユーザーがたくさんいた。新作カードのお披露目は、いつもそれなりに盛り上がった。

 

 しかし、そもそも僕と川口の画力は、天と地の差・レバニラとニラレバの差だったので、川口の書くカッコいい絵のカードが人気を下支えしていた。

川口の代表作で人気カード『屍を貪る龍』と、僕の代表作『甘チャン』(甘酒に、酔っ払ってるみたいな顔が書いてあるキャラ。1ゲームで5回まで回復してくれる)では、やはり屍を貪る龍のほうが人気だったのだ。僕のキャラクターはどちらかというとビックリマン2000に影響されていた。

 

 「やなせ一人体制」になってからというもの、にんていカードの人気は徐々に下火になり、一部残った、高橋ゆうやを始めとするヘビーユーザーのおかげで存続しているような状態だった。

そんな矢先、事件は起こった…

(続きます)

093 遊戯王カードが好き(だった) <上>

『にんていカードの思い出』 -1-

 

1.

 小学生の頃、遊戯王カードが全国的にブームで、北海道の片田舎だったわが町にも、遊戯王カードの大ブームが訪れた。

収集・トレード・バトルはもちろん、僕らの学年では、遊戯王カードのチームを作ってチーム同士で5対5の対抗戦を行うものもいた。

 

 熱心なやつは、めちゃくちゃカードを買い込み、「2軍」や「3軍」のデッキまで作ったりしていた。

 今でも疑問なのだが、遊戯王カードの2軍・3軍って、プロ野球の2軍・3軍と違って、カードが自主的に努力して育ったり能力上げたりするわけじゃないんだから、どういう意味!?と思う。3軍のカードは永遠に3軍なのではないか…(1軍の戦略で必要になったら昇格したりするのだろうか)

 

 その他、当時あまり一般的ではなかったヤフオクで、金にモノを言わしてレアカードを次々落札し、クラス中の男子から総非難されていたハマハタ君。

古田かずま君のブルーアイズを窃盗未遂した●脇君など、そのブームの加熱ぶり、小学生男子たちの踊らされっぷりは留まることを知らなかった。

 

 僕も例に漏れず、ガチャガチャのカードダスでカードを収集するところから遊戯王を始めた。

 当時、サッカー少年団でキーパーをやっていて、「試合で無失点なら遊戯王箱買い」という父親との、巨額契約・もとい巨カード契約を糧に、3試合を無失点完封し、晴れて箱買いを実現した後、トゥーンデッキの使い手となった。

 

 トゥーンは無敵デース!!と叫んではいなかったが、トゥーンデッキを武器にのし上がり、山辺だいすけ君がリーダーの、遊戯王チームの幹部試験をパスし、見事幹部となった。(この制度マジで異常だったな)

 

2.

 そんな風に集まってはデュエル、集まってはデュエルを繰り返していた小4の時。

 

 僕が引っ越したことで家が近所になった、川口君と頻繁に遊んでいた。

 川口君とはサッカー少年団もクラスも一緒で、放課後も遊んだり、少年団の帰りもずっと喋っていたりと、とにかく仲が良かった。

 

 また、川口君は勉強もスポーツも出来て、(僕の描けない)絵も上手に描ける才能の持ち主だった。

川口君とは、お楽しみ会でコントをしたり、僕とけんた君のお笑いコンビ「長谷川&かん太」(僕が長谷川。本名と全くかかっていないけど芸名)でマネージャーを務めてくれたりと、いろいろなことを企ててはやっていた。

 

 そんな企ての一環で、ただただ遊戯王カードをやっていることにも飽き始めていた我々は、「俺らも遊戯王カードみたいなカードゲームを作ろうぜ!!!」という企画を立ち上げた。

 

 話が決まってから行動に移すまでが抜群に早い、テストステロン値の高かった僕らは、その日の放課後にはもう川口の家に集まって企画会議をしていた。

 

 どんなカードゲームにするか?ルールはどうするか?絵柄は?「オリジナルカードを作る」というアイデアがパクられないようにどう対策するか…などを、2~3時間話し合った結果

 

 僕らのカードゲームの名前は『にんていカード』に決まった。

にんていカードの主な特徴は以下だ。

 

  • ルールは基本的に遊戯王。攻撃表示・守備表示があって、ライフポイントがなくなったほうの負け。
  • +モンスターの技ごとにダメージ量が違うという、ポケモンカードのいいところも取ったルール
  • 他の人がアイデアをパクらないように、対策として、カードの裏には◯で囲った「にんてい」の文字が書いてある、これが本物の証!

 

というものだった。完璧だ…と思って二人でハイタッチをした。

 

3.

 テストステロン値の高い僕らは、早速カード作りに着手した。

遊戯王と同じように「名前」、「モンスターの絵」、「種族」があって、「攻撃力・守備力」、「技」、「効果」などの設定を作っていく作業はとても楽しかった。

二人で分担して、半数ずつぐらいカード作成をしたと思う。

 

そして、途中からモンスターを作ることにハイになった僕が、

「強いカードとかレアカードがあってもさ~遊戯王みたいにキラに出来ないじゃん?

 だからレアカードは、カードのサイズ大きくしようぜ!」という提案をした。

 

この提案は、すぐに受け入れられ、にんていカードに

 

  • 強いカード・レアカードはカードのサイズを大きなものにする

 

という新しい特徴が付け加えられた。

  

 その日と翌日で、カードが50種類ぐらい出揃った。故・プリンスもびっくり、驚異の多作具合である。

 1種類のカードが一つずつ、では遊戯王カードみたいにならないので、父親に許可を取り、実家のスーパーの事務所にあったコピー機を使わせてもらい、カードを量産した。

 

 コピーにより、各カード50種類×5枚、ぐらいの在庫が出来、手の丘の部分が痛くなるぐらいハサミで切りまくった。

ここまでの段階で、僕と川口は達成感に満ちあふれていた。

 

 そして、明日はとうとう、にんていカードのリリース日。感嘆と喜びに満ちたみんなの顔が目に浮かぶ。ここからが本番だ。

この『にんていカード』プロジェクトのワクワクは、長谷川&かん太の時よりも、そして、お楽しみ会でやった三人組のモグラのコントの時よりも、大きく勝っていて、期待にときめいた胸は破裂しそうなほどだった。

(続きます)

 

092 パチモンのネーミングセンスが好き

『THE・大晦日っぽくない記事』

 

1.

 パチモンのネーミングセンスが好きだ。

 

 文房具で、お菓子やジュースのラベルを模した消しゴムがあるが、ああいうやつのパロディネームがめちゃくちゃ好きだ。

 

 パロディ消しゴムの販売大手であろうメーカー、iwakoのページを見るとそのラインナップの幅広さが分かる。

10個まとめ買い,パロディー | おもしろ消しゴムのイワコー|工場直営ショップ

 

 

その他、iwakoかどうか不明だが、見かけたもので

  • フルーチェ→フルーチュン
  • おいしい牛乳→まぶしい牛乳
  • 本仕込→にわか仕込み (食パン型消しゴム)
  • マルちゃん製麺マサルちゃん正面

 

など、いろいろな権利に抵触しないように、何とか元ネタが分かる範囲で必至にモジっているのがカワイイし微笑ましい。

大爆笑が100だとしたら、全部笑いレベル1~3ぐらいの微小レベルのネーミングセンスなのも最高だ。

 

 それなのに、たいていパッケージに「おもしろ消しゴム」と書いてある自信満々さがとても好きだ。

そして、そのネーミングの企画会議を大人たちが集まってしている様を想像すると、また良い。

プロジェクトXでiwakoが特集されて、「社長、ここはレタス花子で、どうでしょう…?」というセリフが企業のターニングポイント的に映されていることを想像してみてくれ。最高じゃないか。

 

 小学生のとき、こういう消しゴムを親にねだって買ってもらい、筆箱に入れて翌日自慢しているようなクチの男子だったが、大人になった今でも「最近のパロディ消しゴム事情はどうなってるのかな…?」とそれを見るために文房具屋に立ち寄ったりしている。

 

2.

 その他、ジャンプで3巻ぐらいで打ち切りになった短命漫画とかにある、「アンモニア猪木、入場~!!!」(アントニオ猪木風の男が出てくる)みたいなどうでもいいシーンも好きだ。

笑っていいとも!が、笑っていいかも!になっていたりとか。

小さい頃に毎週見ていたボキャブラ天国のおかげで、生来的にダジャレが好き、というのもあるが、こういうのを見る度に「頑張ってボキャブってるな~」とニコニコしてしまう。

 

 パロディネーム商品は、コンドーム業界にもよく見受けられる。消しゴムといい、何かとゴムとパロディネームは相性がいいのだろう。(49歳みたいな発言)

 

など、10年ぐらい前までは、ビレッジバンガードのお菓子コーナー近くに必ずあったような気がする。ドンキホーテの18禁のれんの奥のコーナーにも必ずあった。

 

 どれもこれも、パッケージデザインまでちゃんと元の商品に寄せてある。

本家に訴えられないのだろうか、と思ったけど、さすがにカールとカーメを間違って買って食ってゴムくせえ!!みたいな客は居ないだろうから、お咎め無しなのであろう。

 

 こういう系の商品で一番好きだったのは、お~いお茶のパロディの「お~い ローション」というローションだ。

ネーミングは全くかかっていないが、パッケージが完全再現である上に、ローションのボトルの裏に俳句(実質的には川柳)まで書いてある細かさ。

 

 その川柳も「挿れたのに 早く挿れてと せがまれて」みたいなちゃんと七五調になっていて、思わず上手い!と膝を打ってしまった。

ユーモアセンスが低俗なので、何回見ても笑ってしまう。「低俗は力なり」と言ったところか。(49歳から58歳に上がったな)

 

 キャバクラや風俗のパロディネームもあれば見てしまう。

 すすきのにあった「触っていいとも!」ってキャバクラ、そこで働いているキャバクラ嬢の人は引っ越しの書類とかに「勤務先:触っていいとも!」と書くのだろうか?「CLUB Papiyon」みたいな名前がいくらでもあるだろうに…とずっと考えていた。

さすがに、経営元の株式会社~って書くか…と気づいたのはつい最近のことだった。

 

 その他、すすきのにあった「あしたのニョー」という、男の子がすわって尿をしているイラストの看板の店が、近隣からの苦情なのか、尿をしている部分だけ黒く塗りつぶされていた。

戦時中の墨塗り教科書もびっくりの検閲である。(58歳から76歳にランクアップ)

 

あわせて、知り合いが「ヌレヨんちんちゃん」という風俗に行ったら、ぬらりひょんみたいなババアが出てきてびっくりした、みたいな話も思い出す。

パロディAVのタイトルの話まで行きたいがキリがないのでやめる。(熟女女優・風間ゆみさん主演の『カザマを止めるな!』のパッケージのデザインがめちゃくちゃ寄せていて最高だった。”最後までチ●コを離すな。このAVは二度抜ける。”って書いてあった)

 

3.

 いつか、こういうパチモン巡礼の旅をしたい。

と言っても、文房具屋さんを巡ればいいのか、あるいは中野ブロードウェイだけでもかなりあるか!?と巡礼コースが定まらない。

中国に売っている屋台のパチモン巡礼もしてみたいがまだ予定がない。常時、旅の仲間を募集しています。

 

最後に、近所にある、大半がパチモンみたいなので構成されている自販機の写真を貼って終わります。

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乳清グルト、AQTIVE(アクティーブ)、エナジーボンバー…

ドラマの背景とかに映る架空の自販機かよ。

___

今年も一年ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。

091 三百円が好き(だった)

『居酒屋・三百円の思い出』

 

1.

 三百円が好きだった。

 三百円というのは、かつて札幌にあった、今は亡き(あるの?)居酒屋チェーンだ。

 

 その名の通り、食べ物が全品300円で提供されており、飲み放題も30分300円で、なんと平日は飲み放題60分300円という激安っぷり。

20歳前後(とあえて幅を持たせて書く)の僕らには大変重宝していた店だ。

 

 ド田舎から、一応の地方都市である札幌に出てきた僕らは、週末平日問わず集まっては飲んでばかりいた。

三百円であれば、2時間飲み放題+一人2品を頼んで、お通し代含めて1500円でめちゃくちゃに酒が飲める。

 

 そんなわけで、集まって行く店と言えば、3000円で食べ飲み放題の『日の出本舗』という店か、一回1500円の三百円ススキノ店ばかりだった。

 

 だから日の出本舗を「3000円=三百円2回分=贅沢な高級店」と捉えていたし、ライブのチケット代とかで4500円と耳にすると、頭の中で「三百円3回分か…」と計算していた。

もはや、1500円=1三百円という新しい単位として頭の中で確立しており、そのぐらい三百円に脳を侵されていた。

どうかしていたと思う。

 

2.

 その激安具合から、料理や酒のレベルはお察しのものだ。

特に料理。サイズ(量)は大きいが、味も超絶大味のものばかりだった。

 

  •  だいたい30センチぐらいの大きさで、薄さ3mmぐらいの「ジャンボチキンカツ」
  •  だいたい30センチぐらいの大きさで、中にゆで卵がまるまる1個入っている「びっくりオムライス」(何がびっくりするって、具材は完璧にオムライスなのにびっくりするぐらいマズい。本当に空腹を満たすだけの用途)
  •  だいたい15センチぐらいの長さ・高さ10センチの大きさで、化学調味料味バリブリの「チャーハン」…

 

そのすべてが300円である。

全部だいたい~の大きさで、と書かなきゃいけないの何なんだ。

 

中には美味しいメニューもあり、

  •  だいたい40センチぐらいの大きさで、普通よりは薄いけど味は確かな「ホッケ」
  •  4個ぐらいしか入っていないから我々の中で三百円の高級メニューとされていた「手羽ギョウザ」…など

 

 激マズ料理の中でも、King Of Kingsだったのがお通しで、なんか春雨?マロニー?的なのをただただ酢和えにしたものが、小鉢にドサッと入って出てきていた。

その食感と味から我々の間では「ゴム」と呼ばれ、誰も手を付けるものはいなかった。

 

 例外として、”しけた”というガン●ャ中毒の友達だけがゴムをウマイウマイと食っていたので、いつもしけたの小鉢にはゴムがドッサリ集まって山盛りになっていた。

このお通しも300円で、「これさえなければ手羽ギョウザがもう1個頼めるのに…」と辛酸を舐めた。どんだけ貧しいんだ!!!!

 

 そして、店員さんはほとんどが中国人で、注文は一度で聞き取ってもらえない。

「チャーハンください。」

『は?』

「チャーハンください…」

『…』

と、聞き返したわりに、了解した際には返事をせず、ただただ手元の機械に注文を打ち込む、というのが毎回だった。この価格帯なんだから仕方ない!と誰も文句を言う者はいなかった。

 

 この三百円で、毎週のように鬼のように酒を飲み、飲んで吐いてくたばったり、起きたら交番だったり、三百円の後に行ったカラオケの壁を誤ってぶち壊してしまったり、三百円の後に3000円(2三百円)の激安キャバクラに行ったりと言う、場末中の場末の思い出がたくさん出来た。

ある時は30人ぐらいのどこかのサークルの団体が帰った後、残した刺し身とかをどうせ捨てるならとめちゃくちゃ食ったりしていた。

あの頃、僕らは確かにドブネズミだった。それも、甲本ヒロトが言っていた美しいほうのドブネズミではなく、正調にただただ真っ当にドブネズミだったことだろう。

当時は、めちゃくちゃ楽しかったけど、戻りたいかと言ったらマジで戻りたくはない。

 

3.

 外観もボロく大半の料理がマズかったが、ただただ居心地がいいのと激安なことから、僕らは本当に三百円を愛していた。

何かといえば「三百円で良くない?」と、誰かの誕生日などのイベントごとも三百円に集まっていた。

 

 僕が地元に帰省したときも、地元の集まりで、わざわざ地元の近くにある三百円を調べて、予約して行った。

どんだけ好きなんだ!!!っていうかどんだけ店を知らないんだ!!!!!!!!!!

 

 先日のこと。

 当時の三百円メンバーの一員であるタニケンと、浅草を歩いているときに、なぜか三百円の話になった。

お通しのゴムの話や、ジャンボチキンカツの話など、当時の話が一通り出た後に思い出したのは…

 タニケンが19歳の時(あるいは20歳の時かもしれない、と幅をもたせておく)いい感じになった女の子と、人生初めてのディナーデートに行くことになった。

19歳だし店を知らないので、「大人は普通どういうところに行くんだろう?」と我々は頭を悩ました。

当時のことを思い返すと、僕もその相談に乗って、いろいろと提案した覚えがある。

 

 翌週、タニケンと会って、事の顛末を聞いた。

「結局どこ行ったの?」と聞くと

『ん、普通に三百円行ったよ』

 人生初のディナーデートが三百円!!!!!!!!!!!どんだけ三百円好きなんだ!!!!!!!!っていうかどんだけ店を知らないんだ!!!!!!!!!!

 

 の最高潮である。今となっては。

 

 と、笑っていたが、僕もその頃付き合っていた彼女と、クリスマスデートに三百円に行ったことを思い出した。どちらもロクでもないし、バカに出来る立場じゃなかった!!!

せめて、”高級店”である、3000円の日の出本舗に行けばよかったのに…

 

 そんなことを思い出して、距離も時間も隔てた20代後半に歩く浅草で、僕らは少しだけドブネズミの頃にタイムスリップしたのだった。人間になれて良かった~!!(;;)

 

 22歳以降一度も行ってなかったのですが、24歳ぐらいで久々に行った時に撮った三百円のメニューの写真を載せておきます。

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ガチャガチャの筐体に貼ってある紙みたい。コレクションガチャガチャ・三百円があったらやるのに。

もちろん一回三百円。海洋堂制作のジャンボチキンカツやびっくりオムライスのフィギュアストラップ、シークレットは手羽ギョウザか!?あるいはお通しのゴムか!?!?

いずれにしてもろくでもねー!!!

この写真、Tシャツにしたいね。

090 集団ヒステリーが好き <下>

(↓前回からの続きです)

yanakyo.hatenablog.com

『はだかの物理学』

 

4.

 大学2年生の頃入っていたサークルで慰安旅行に行った。

 泊まった旅館の大浴場は、よくある「朝と夜で男湯と女湯の場所が入れ替わる」制度のやつだった。

前日の夜に飲んで、朝風呂に入ると、昨日の夜の大浴場には無かったプールが併設されており、普通に風呂の延長線上で裸で入ってもいいところだった。

 

 しかも、日程なのか時期なのか立地なのか、その時期は我々以外ほとんど宿泊客も居なかった。

プールの真新しさと開放感に、普通のお風呂はそこそこに、裸でプールに入り皆大ハシャぎだった。

 

 15mぐらいのプールの端から端まで泳ぎまくっているうちに、「水泳のスタートのように、思いっきり蹴り出して泳ぐことで大きな波が起こる」ことが楽しくなってきた

次第に、人が集まってきて、みんなで波を起こしてキャッキャキャッキャ遊んでいると、そこらじゅうでジャバジャバどんどん波が大きくなって行った。

 

 そのうちに誰かが「…このままさ、みんなで手つないでグルグル回ったらすごい大きな渦できるんじゃない?」と言い出した。

 

 もはや波を起こすことにハイ(Wavers-Hi)になりまくっている我々にとって、この提案はまさにコロンブスの卵的発想に映り、すぐにやってみよう!!!!となった。

15人ぐらいの男たちが手をつなぎ、フォークダンスのマイムマイムのように回りだした。

 

 すると、洗濯機の中の水流のように、大きな渦が中心に出来たのだ!

「ウォー!!!」と大歓声を上げる我々は、その後もバターになる程にグルグルグルグル回り続けた。

 

5.

 ひとしきり回って渦を楽しんだ後、またある者が「じゃあさ…このまま何人かずつに分かれて、手つないで壁作ってさ、そのままプールの端と端から歩いて来たら、めちゃくちゃデカイ波出来て真ん中でドーン!ってぶつかるんじゃない!?!?」と提案し始めた。

 

 先の”洗濯機の水流式実験”の成功を受けて、機運の高まっている我々研究チームは「なる!!!すぐやろう!!!」と即決した。

10人以上集まった全裸のでんじろう先生。知的好奇心という名の空気砲が爆発しているのか、あるいはIQが2なのか。

 

 かくして、8人ずつぐらいに分かれて、手をつないで横に並び壁を作り、プールの端と端から歩き出すこととなった我々。

「せーの」の掛け声で一斉にスタート…その距離は近づいていく、10m、5m、3m…そして1m…

 

 結果として、何の波も起こらず、プールの中心にただただ無言が訪れた。

手をつないだ全裸の男たち16人がただただ向かい合う形となった。

「何も起こんねえ~!!」とひとしきり笑った後、自分たちの集団ヒステリーに気づいた…2個目のコロンブスの卵は腐っていた…

 

 この事件は後に「はだかの物理学」と呼ばれて、しばらく語られた。

結果、1時間ぐらいプールの中に浸かりっぱなしだったので、水から上がった時、下半身がめちゃくちゃ重かった。

「重え…」と鈍い声を上げながら、我々は大浴場を後にした。

 

6.

 こういった集団ヒステリーの最中は、本当に「我を失っている」。つまり無我の境地ということで、仏教的にもよろしい状態だ。

対象が何であれ、何かに熱中し、合一して無我の境地に到れるのは幸せだと思うし、それが集団で発生するというのはかなり奇妙で楽しい。

 

 そして、好むと好まざるに関わらず、こういった無我夢中の集団ヒステリーというのは制御できないし、逆に意図的にこういうゾーンに入るのは、やろうと思っても出来ないことだ。

 

 端から見たり、後から自分たちで振り返っても頭がおかしいことがほとんどだが、集団ヒステリーを起こしている時間は濃密なので最高だと思う。

「ヒステリーは無我夢中への入り口」だッッッ!!!

 

<完>