089 集団ヒステリーが好き <上>

『無我夢中への入り口』(前編)

 

1.

 集団ヒステリーが好きだ。

 何か物騒な書き出しとなってしまったが、この場合の集団ヒステリーは、ヤバイ新興宗教団体で…的な本来のコワイ方の意味ではなく、「複数人が集まって、どうかしてるぐらい何かに無我夢中になってしまうこと」ぐらいにとらえてほしい。

 以前の職場の僕がいた部署は仲が良く、自分たちの部署の人たち+他チームの仲のいい人たち数人で、定期的に集まっては飲んでいた。

 

 というのも、客層がヤバヤバのヤバ(最近流行ってる感じの言い回しで言うと)で、時々集まって対策会議をしないとモチベーションの維持が難しかったからだ。対策会議と言っても、真剣に対策するわけではなく、ワッハッハだった。

職場全体の飲みでも、結局は同じ部署・チームで喋っていることが多かった。

 

2.

 集まりで使用する店はほぼ毎回決まったジンギスカン屋さんだった。

札幌には数多ジンギスカンの有名店があったが、その店は全く有名店ではなく、知る人ぞ知る小さな店だ。

 

 職場から近いから、というわけではなく、地下鉄で何駅か乗りついでまで、終業後に集まっていた。

何故そこまでするかというと、ここのジンギスカンがわざわざ乗り継いで集まるぐらいめちゃくちゃ美味かったからだ!!!ウマウマのウマだった。(この言い回し自分に似合ってないし楽しくないからもう辞める)

 

 北海道出身の僕らにとって、ジンギスカンはもはや家庭料理というほど慣れ親しんだものであり、正直夕飯でジンギスカンが出たら「へぇ、ジンギスカンか」ぐらいのリアクションをする程度だった。

しかし、この店のジンギスカンを食って、ジンギスカンのイメージ・ひいては自分の中での食べ物としてのランクまで大きく刷新された!

ジンギスカンはめちゃくちゃ美味い!ごちそうだ!!」と思うようになった。そのぐらい、この店で食えるジンギスカンはレベルが違った。

 

 食べ飲み放題120分・3500円の絶妙な価格設定。ビールはお馴染みのサッポロクラシックで、バッチリ冷えており、かつ風味を損なわない温度設定。

 

 メニューは、マトン・ショルダー・ロース・ウインナー・鶏肉・焼き野菜というたった6種類程度だったのだが、このどれもが、シンプルながら最高峰だった。

肉質はフワッフワで、敷布団にしたいぐらい!!京都西川もひれ伏すぐらい安眠できることだろう。

シンプルな炭火焼きなのだが、もともとの上品でさっぱりした油と炭火のスモーク感が絡んで、実に奥ゆかしい風味の重層構造を作り上げている。

これをタレにつけ、ご飯にワンバウンドさせて食べるッッ!!じっくりと噛み締めてからビールで一気に流し込む!!!

ああ~今すぐ食べたい抱きしめたい!!!!!!

 

 というぐらいこの店が好きだった。そして、この飲みに参加する10人弱のメンバー皆が、同じぐらいこのジンギスカンの味、この店を愛していたのだった。

 

3.

 この会は平均して2ヶ月に1回ペースで催されていた。

 

 何故なら、みんな中毒になりすぎて、しばらく開催されていないとソワソワしだし「そろそろ…じゃない…?」とまるで、子作りをする夫婦のような誘い方を誰かからともなくするのであった。

(もっと例え他になかったのか。しかも自らが子作りをする夫婦であったことがないから、この例えが的確かどうかもわからない。きっと何か創作物の中で見た描写だろう。「そんなんじゃねーよ!」って思われた方いればすいません。補足に文字数とりすぎなので本文に戻ります)

 

 そこから、迅速な連絡機能により、参加メンバー全員のスケジュール確認は概ね5分以内で終わる。参加できるメンバーが多数になれば、その週末にはもう開催されることとなる。

 

 開催が決まってから、だいたい数日間その店の話題で持ちきりなので、開催日当日には、全員がもうまさに「肉を食らう野獣」のテンションになっている。

 

特にガチ勢の人は(全員ガチ勢だが)前日から食事を少なめにし、当日食卓につくと「今日朝起きてからマーラーカオ1個しか食わないようにした」と宣言するなど、まるでアスリートのカラダ作りのようだった。もはやヒステリーへの門は開いているのだ。

 

 そして、とうとう肉が登場すると、皆30分ぐらい黙りこくる。

 乾杯もそこそこに、皆わき目も振らず次から次へと肉を食べ始め、おかわりに次ぐおかわり、おかわりtoおかわり、おかわりからおかわりへのトランジット、おかわり発おかわり経由おかわり行きそして幸せへの直行便とばかりに、10人弱の大人がとにかく黙々と食い続けるのだ!

この世から羊が絶滅、あるいは翌年のレッドリストに羊が掲載されれば、その原因の90%は我々にある、というぐらいの食いっぷりであった。

 

 肉のペースに合わせて、ビールも物凄い量を飲む。僕は、ジンギスカンとビールの組み合わせが最高すぎ+店のオバサンが物凄いペースで持ってきてくれるので、20分でビールを中ジョッキ4杯飲んでしまったことがある。

まさに酒池肉林の会だった!!字面だけ。

 

 30分を過ぎたあたりで、満潮がひいたように、みんなが満足し、徐々に近況の話で盛り上がり、赤ワインなどを交えながら会は進み、ワッハッハのまま終幕する。

 

 次の日に職場で、店での様子を振り返ると毎回「冒頭30分全然喋ってなかったよね…」となる。

僕らはあの店でいつも、ラム肉への集団ヒステリーを起こしていたのだ。

いつしか「起こそう、集団ヒステリー!!」がスローガンとなっていた。10人弱の大人を、30分間、食の集団ヒステリーに迷い込ませるそんな魔力・魅力があの店にはあった。これを書いている今も、あのラム肉を早く食べたいと思っている。

一番ヒステリックだった時期は、中一日で食いに行ったことがある。中継ぎピッチャーだったらシーズン終了時には肩を壊している。

ヒステリックになる対象がラム肉の食べ飲み放題ということもあり、体型は肥大し「逆・ヒステリックグラマー」になっていた。あんまり上手くない。ラム肉は美味いけどね、よっ!!!!!

 

 有名店よりずっと手頃で味も美味しかったと思う。何より、注文したものが来る速度が爆速。(全部1分以内ぐらいで来る)

 何故イマイチ繁盛しないか考えると、店が結構ボロ目で目立たないことと、予約の電話をすると爆速で店のオバサンが電話を切ることぐらいか…

電話を切る速度と料理の提供速度があまりにも正比例している。

札幌に帰ったときはぜひ食べたい。

 

(続きます)

088 Queenが好き (後編)

(↓前回からの続きです)

yanakyo.hatenablog.com

『映画 ボヘミアン・ラプソディを見て』

 

3.

 映画 ボヘミアン・ラプソディを見ていて、そんな風にQueen、特にブライアン・メイが大好きだった時期のことを思い出した。

当時の逸話から再現された、レコーディングシーンの工夫の数々にしびれた!!前身バンド、スマイルの時代からあんなに変わったことしていたなんて…

 

 ウィー・ウィル・ロック・ユーの誕生秘話は知らなかった。

やっぱりブライアンの発想力はすごすぎて鳥肌!!!!!

あのドンドンパッ!のリズムで、みんなこの曲だって分かるもんな…

 

 特に中盤以降から描かれる、フレディの生来的な孤独アレルギー的気質と、退屈との付き合い方を知らないことによって捨て鉢になり、より孤独を深めていく流れ、自分にも心当たりがあるぶん、気持ちがえぐられるように見ていた。

 

 「”家族”として親身に思ってくれるバンドメンバーやメアリー」を一時は捨てて、「才能が生む金銭の流れ目当てで近寄ってきて、放蕩につぐ放蕩の虚しいパーティをする仲間」との付き合いを選んだフレディ。

(劇中での)彼は、破滅スレスレになるまで気づかなかったが、自分は、過去や現在に対して恨み言や弱音を言う前に、すぐ近くにある豊かさに目を向けたり、本当に親身になってくれる人を大切にしようと身につまされた。

 

 メアリーの一言から、足元にある豊かさに気づき、再起を図ってライブエイドに出るまでの流れ。本当に細かい所作に至るまで完全に再現されたライブシーン。

見る人の殆どが同じ感情のうねりを共有できるような丁寧な作りになっている。

 

 個人的に「ラスト◯◯分の衝撃!」「ラスト◯◯分の感動を味わえ!」みたいな映画はあまり好きではない。こういう映画の大半が、その「ラスト◯◯分の衝撃」に機能を集約させていて、間の描写が驚くぐらい雑だったりつじつま合わせだったりするので…

しかし、ボヘミアン・ラプソディのライブシーンは、単なる「”泣ける”機能性」のためのものではなく、それでいて重大な見せ場になっている上に、そのラスト21分に至るまでの描写の積み重ねが丁寧で面白かったので、感動でベタに涙が止まらなかった。

 

4.

 それまで、NHKのドキュメンタリーで見たような「音楽性から割り出す人間性」の範囲でしかQueenのメンバーの人となりを知らなかったが、この映画でフレディと、彼を巡るメンバーたちの苦悩まで知ることが出来た。

 

 一つ、(ボヘミアン・ラプソディをシングルカットすることに反対していた)EMIの重役レイ・フォスター氏や、フレディの個人マネージャーで最後はテレビに出て暴露話をしていた、ポール・プレンター氏あたりが、完膚なきまでに悪役・あるいは無能なやつとして描かれていて、過剰な勧善懲悪感があるのでは?というのが懸念点だった。

事実からどの程度かけ離れているかで見方が変わってくるなあ、と思って少し調べたが、概ね史実どおりのようだ。

その他、フレディがエイズを告白したタイミングの前後など、事実とタイムラインが異なる部分はあるようだが、それも含めて演出の範囲内と個人的には思った。

 

 劇中のキャスト陣によるメンバーの再現が激似だったので、エンディングで本人映像の『Don’t Stop Me Now』が流れたとき「やっぱ似てるな~」と見比べられて二度楽しかった。

そして、エンドロールで『Show Must Go On』が使われていたのは、「映画のフレディの人生を見て、なにか成し遂げた気にならないでよ。あなたの現実の人生は続いていくのだから闘い続けよう」というメッセージのように感じたのですが深読みしすぎでしょうか。深読みだとしても勝手にシビレました。

 

 細かいところでは、冒頭でデビッド・ボウイが名前を呼ばれているシーンがあるが、ボウイの姿は出てこないのと、絶妙なタイミングで『Under Pressure』がかかるのがニクい演出でした。

監督が「ボウイのそっくりさんは絶対出したくなかった」と語っているインタビューを見て納得。

あんなにカッコいい人、そっくりさんでやったら滑稽になること必至!!!!!

 

 公開前にSNSで「俺の方がQueen知ってる」的なマウンティングをいくつか見て残念だな~と思った。あまつさえ日本のベテランミュージシャンさえもが、「Queenが再ブーム?チャンチャラ可笑しい!私は昭和何年の◯◯歳から聞いていて~」みたいなことを書いていて悲しくなった。

 

 この映画はそういうマウンティング無用で、愛を爆発させて素直に見ればいい。フレディのデフォルメ感とかに抵抗を覚える人はいるかもしれないが、描写の丁寧さや構成から、万人にとって読後感のいい作品であることは間違いない。

そして、音響の良い映画館で見るっきゃない作品ですわ!!ソフトで見ると感じ方が違ってしまうかも…

 

 見終わった後は、Spotifyにサントラがあるし、何ならQueenのオリジナルアルバム、ライブ盤まで各種ある!!余韻を楽しむにも十分なライブラリが身近にある現代に感謝。。。今、オリジナルアルバムをもう一周している最中です。『Don’t Stop Me Now』のギターソロ、この世のギターソロの中で一番好きだな…

 

 そんなこんなで長くなりましたが、映画『ボヘミアン・ラプソディ』の感想でした。

___________

(おしらせ)

 「ひとまず100日連続更新」をめあてに、10月からやってきたnoteとブログですが、予定通り100記事目で一旦毎日更新をやめて、不定期更新にしようと思ってます!

 

 残り10ちょっとなのですが、「こういう話について書いてほしい」とか「こういう話し聞きたい」みたいなテーマがもしあれば、コメントやラインで送ってくれると嬉しいです。

よろしくお願いします。

 

敬具ー(ピングーみたいでカワイイ。氷のブロック集めて家作ったろか、アシカと一緒に魚食ってソリ乗ったろかって!!)

087 Queenが好き (前編)

『映画 ボヘミアン・ラプソディを見て』 (前編)

 

1.

 ボヘミアン・ラプソディを見た。

吉祥寺オデヲン、平日の昼間なのにめちゃくちゃ人が入っていた。

 

 Queenを初めて聞いたのは、14歳の頃、木村拓哉・略してキムタク、もっと略してキ、が主演していたドラマ、プライドにより日本でリバイバルブームとなったタイミングでだった。

 ブームを受けて発売となった『Jewels』という日本のみのベスト盤を聞いたり、当時ネット上で見かけた、いかりや長介さんの追悼Flash(めちゃくちゃ時代を感じるね)に使われていた、『Don’t Stop Me Now』を繰り返し聞いたりしていた。

なので、今回もエンディングで流れた『Don’t Stop Me Now』で、チョーさんの顔が浮かんだ。そんな人はこの世に何人いるのだろうか。

 

 高校生になり、自分もバンドをやったり、曲を作るようになって、いろいろと音楽を聞き漁った。

その過程で、おじさんの部屋にあった、Queenの『GREATEST HITS』を発見し、久々に聞いてみた。

中学生の頃聞いた印象とは随分違い、ボヘミアン・ラプソディの曲構成や発想のすごさに感動した。

Pink Floydなどプログレが好きだったので、プログレ的印象にも結びつけて繰り返し聞いた。

 

2.

 ちょうどその頃、NHKのドキュメンタリーというか、ファンが集まって話すような番組でQueen特集をやっているのを見た。

 

 そこで改めて、メンバー4人の人となりや、全員が作曲をすることと、その作風の違いを知ることが出来た。

 体育会系的縦社会ノリや、ロックバンドにありがちな男世界男世界したマッチョイズムが苦手な僕は、Queenのインテリンバンド的な佇まいを見て、改めて好きになった。

当時ハマり始めたXTCとも似たような、『THE理屈っぽい英国人』的ロジックで発想される曲や、文化系的空気感が好きになった。(フレディのマッチョイズム、というかマッチョな体型は、これが男の世界だぜー!!というものとは違って、本人の繊細な人格が根底に透けて見えていたので、すんなり馴染めた)

 

 今回の映画でも、口論するシーンでの「ケンカの仕方が、めちゃくちゃ理屈っぽい英国人・文化系ですやん!

」というところにシビレた。俺だけ!?

 

 中でも衝撃的だったのは、ブライアン・メイの「天体物理学の博士号を持っている」という異色の経歴、ギターを自作した、VOXのアンプを何台も積んでギターオーケストレーションしてしまう…などの「真面目すぎて変態」的な知的探究心だ。

 

 今も昔もそうなのだが「ロックはクズのやる音楽だぜー!!」(めちゃくちゃデフォルメした意訳ですが)的な地方ライブハウスっぽいノリが好きではなく、10代の頃から一貫して、そういう精神性の音楽や考え方に心底ノレなかった。

ライブハウスに出入りしていたときに、そういうノリに無理やり合わせようとしてもやっぱり無理だった。

 

 そんな中で出会ったブライアン・メイの「ド文系な理屈・発想・探究心」が生む音楽的感動にいたく惚れ込んだ!!!!そうだよね、これでいいよね、ブライアン!!!と思えた。

同じような意味で、XTCのアンディ・パートリッジも僕の中でアイドルである。

 

 難しい発想の曲が多いが、ライブをやり続けたから、スタジオアルバムでも頭でっかちにならず、肉体感やライブ感のある演奏がパッケージングされているところも好きだ。XTCと並んで、文化系が目指す究極のバランスの音楽だ、と思っていた。

XTCは一時期からライブ活動をやめ、肉体感が失われて頭でっかちになってしまうが…そのバランスも好き。)

 

 そして、18歳ぐらいの頃には「ブライアン・メイはピックのかわりに、6ペンス・コインでギターを弾いている」という逸話を聞いてまたしても衝撃を受け、

「真似するっきゃない!!!」と自分も一円玉でギターを弾いていたのだが、弦は削れてボロボロになるし、ただただ指先が銀色になって終わった。

昔からこういうところがある。ただ、それぐらい好きだったのだ。

 

(続きます)

 

086 『年末映画』が好き

 昨日、クリスマスということで、U-NEXTで『ホームアローン2』を見た。なんと人生初鑑賞!

みんなが子供の時に金曜ロードショーで見たことある映画だと思うのだが、自分は映画を見る習慣が出来たのが最近なので、はじめて見た。

ついでに言うと、ホームアローン1も去年はじめて見た。なんなら、スターウォーズも、ベストキッドも、インデペンデンスデイも去年。

逆に言えば、まだまだ「見たことがない名作」という余白が多くこの世界に残っているということで、喜ばしいことだ!!

 

 映画をちゃんと好きになってから、年末諸々を収めたあとは、映画を見まくるのが楽しみだ。

 実家に帰っていたときは、居間に大画面のモニターがあったので、そこで好きな映画を見直してジッとしながら、一年間何が出来て・何が出来なかったか、来年はこうしてみよう、と顧みたり、まあどうせ絵図面通りにいかないけど数カ月後のこととかを考える。

 この時間は魂の浄化であり、自分はキリスト教徒ではないが、懺悔室に入って今年のことを滾々と告白しているような気持ちになれて好きだ。

 

 ということで、今回は少しいつもと趣向を変えて『My・年末映画 ベスト3』について、簡単にご紹介したいと思う。なるべくネタバレしないように…

 

●1.『醜聞 <スキャンダル>』 (監督:黒澤明

進気鋭の画家(三船)と美しい声楽家(山口)が偶然出遭ったところを雑誌記者に盗撮される。まったくの醜聞(スキャンダル)に巻き込まれていく二人。物語の舞台はやがて裁判へ……。いたずらに醜聞を追うジャーナリズムを糾弾する一方で、後半は志村喬演じる弁護士の心情・行動が焦点となっていく。

- 映画.comより

醜聞 スキャンダル : 作品情報 - 映画.com

 

 

 黒澤映画の中でも上位に好きな作品。

 裁判を前に、自らの感情的な行動から孤立無援となり、困り果てた三船の元に、志村喬演じる弁護士蛭田がやってきて、裁判のバックアップをしてくれる…はずだったが、蛭田の心の弱さから起こるトラブルでスムーズに裁判が進まない、というのが後半のメインシーケンス。

 

 「”人の心の弱さ”との付き合い方」という普遍的なテーマの中で、「まったく人間の感情はよくわからない」という、滑稽で時に悲しい描写が繰り返され、羅生門のラストにも通ずる「それでも人を信じたい」という黒澤ヒューマニズムも炸裂…それらが104分という短い時間の中にパンパンにつまっていて最高。

かといって全体が重く説教臭いわけじゃなく、笑えるシーンや、美しすぎるシーンが満載。だから黒澤映画は古びない!

 

 年末映画ポイント:

  • 裁判が始まる以前に、クリスマスのシーンがあるのですが、その冒頭の三船敏郎の登場から洒脱すぎて驚きます。白黒映画なんだけど、クリスマスカラーに見える!!これはマジで!!!嘘だと思ったら一度見てみて!!!
    歌のシーン、志村喬の戸惑い顔との対比も含めて美しすぎる…
  • その後の酒場のシーン、左卜全演じるベロベロの酔っぱらいが、今年一年を振り返っての演説をするんですが、ここがまさに「正調・年末映画」感があって染みる。
    自らの一年をこのセリフに重ねてしまう。はじめて見た時は、このシーンで感情が溢れて、気づくと涙が流れていました。何故泣いているのか自分でも説明できなかった、そんな不思議な体験。

___

●2.『駅 - Station -』 (監督:降旗康男

オリンピックの射撃選手であり、警察官でもある一人の男と、事件を通して彼の心を通り過ぎていく女たちを描く。

- 映画.comより

駅/STATION : 作品情報 - 映画.com

 

 

年末映画ポイント:

  • 自分は北海道の田舎町出身なのですが、この映画の終盤はまさに「1979年の北海道の田舎町の大晦日」が舞台。
    どこも仕事納めになって、町が静まり返り、人はまばらで、道路にはうず高く雪が積まれている…という様子が、実家の大晦日の風景とリンクして、その同期性に、一つ一つの描写が心の深くまで染み渡る。

 

  • 高倉健さん演じる刑事と、倍賞千恵子さん演じる居酒屋店主が、カウンターだけの店で交わす会話・演技の自然な奥ゆかしさ、小さなテレビから流れる紅白歌合戦の『舟歌 / 八代亜紀』…そんな時代には生まれていないはずなのに、日本人の心の奥底にある「日本人のわびさびDNA」みたいなものがうずきだし、心の芯までうら寂しい気持ちになる。これがたまんないです。

 

  • 札幌に住んでいたので、昔の札幌市街の様子を見て、すすきのこんな感じだったんだという資料的価値もあります。

 

  • 終盤、取り調べのシーンでの倍賞千恵子さんの、諦念や寂しさや行き場のない感情が綯い交ぜになった涙が素晴らしい。
    今年、万引き家族を見て、安藤サクラさんの涙に感動すると同時に、この映画の倍賞千恵子さんの涙を思い出しました。

 

  • 高倉健がバチゴリにカッコいい。

___

●3.『ダイ・ハード』(監督:ジョン・マクティアナン

テロリストによって日本商社の高層ビルが乗っ取られるという事件に、偶然巻き込まれた1人の刑事の活躍と戦いを描くスペクタクル映画。

ダイ・ハード : 作品情報 - 映画.com

 

 

 大切な映画とか、考え方が変わった映画とかあるけど、こと「面白い映画」ということではダイ・ハード1が自分の中でNo.1です。

リドリー・スコットばりのシックなライティングや、やべー展開満載のアクションがカッコいい。

登場人物の関係性すべてが上手く絡み合って壮大なアンジャッシュのコントのよう。(この表現は半分合ってて半分間違ってる)

 

年末映画ポイント:

  • 毎回毎回年末に、ついてなさ過ぎだ!!!!!マクレーン!!!!!!!!!!!!!!!!!
    『ついてない日の応援歌』を歌っていた、(ハイパーMAXXXXXXXXX最強一発屋の)ダニエル・パウダーでも、マクレーン刑事のことは励ませないことだろう。ま、励まさなくても、ブルース・ウイリスはシリーズを重ねていくごとにハゲ増していくけどね!!!!!!!!!(59歳のダジャレセンス!!!!!!!!!!!!!!!)

 

  • こんなについていないマクレーン刑事を見て、自分の一年、ここまでついてないことはなかったなと思える。
    そして、もし来年これぐらいついていない一年でもマクレーンばりの執念で乗り切ってやるゼ!!!!!!!!と思える。日頃から、気分はいつもナカトミ商事!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!でいれば大抵のことはなんとかなりそう。

 

  • 絶対日本語吹き替え版で見てほしい。見たことあっても改めて見てほしい。顔ブルース・ウイリスなのにめちゃくちゃべらんめえ口調!!!
    高所から下を見て「すくむぜェ…」って!!!!!!!!!本当に日本人の粋なオヤジに見える!!!!!

 

  • 最後の最後のホリー、最高!!!!!あのシーン見ると、「イェー~」って低めの声で歓声あげちゃうね。

 

 以上、『My・年末映画ベスト3』でした。

 

 ダイ・ハードシリーズと、醜聞<スキャンダルは>U-NEXTの見放題で見ることが出来ます。

ただ、黒澤映画はフィルムの状態からか、日本語字幕がないとセリフが聞き取りにくいところがあり、U-NEXTには字幕がないので、セリフを逃さないためにはDVDがオススメです。

駅 -Station-は、Amazonプライムに、有料レンタルですがありました。

 

今年の年末、VODやレンタルでこの3本を見てみてはいかがでしょうか。見たら感想話しましょう!!!

085 都市伝説が好き (後編)

(↓前回からの続きです)

yanakyo.hatenablog.com

『親知らずの思い出』 (後編)

4.

 更に2年が経ち、20歳になった頃、残り三箇所の親知らずが同時多発的に生え始めた。

そのうち一本が顕著化し、物を噛むのが困難になって「歯医者に行かなきゃなあ」と思うと同時に、やはりあの都市伝説の存在を思い出した。いや、忘れられていなかったというほうが正しいのかも知れない。

 

「歯医者の治療で、歯科助手が施術中におっぱいを当ててくるのは、痛みを忘れてリラックスしてもらうためワザとやっている!なので、歯科助手・歯科衛生士のマニュアルとして、患者におっぱいを当てる決まりなのです!!!」

 

 2年前にこの都市伝説に裏切られたことは都合よくすっかり抜け落ち、頭の中では末尾に感嘆符がつくほどに説が熟成されていた。

当時、ガラケーの小さい画面で見たはずの文字が、スポーツ新聞の見出しのごとく巨大な級数で、脳内に躍るのだった。

 

 ー もう二度とは裏切られたくない ー

 

 そんな思いが心の中にあった。勝手にその説を信じていただけで別に裏切られていないのに。

 

ー “マニュアルとして、患者におっぱいを当てる決まり”なのだとしたら、おっぱい当てるのも治療費に含まれているのではないか!?!?今度当たらなかったら、一部返金して貰えるかな ー

 

 という思いも心の中にあった。本当にどうかしていた。この事をきっかけに、「おっぱいを当てなかった場合は、医療費5割返金!」のマニフェストを掲げ、参議院選に出馬したのは、これから数年後のことだった。

 

 近隣の歯医者を歩いて下見したりしたが、もちろん「おっぱいを当てる歯医者か・当てない歯医者か」なんて見分けられるわけがない。もし「おっぱい、当てます」と看板に書いている歯医者があったら、”一生に四回しかない”親知らずの抜歯の場面とあっては、優先的に選んだことだろう。

 

 挙句の果てには、「札幌 おっぱい 歯医者」で検索したりしていた。もちろんヒットしなかった。もはやノイローゼである。

 

 途方に暮れ、結局、近所のダイエーの中に入っていた歯医者を予約した。

 予約当日訪れると、内装はピカピカで、歯科助手さんもマスクをしているがキレイな人ばかりだった。

今となっては完全に気持ち悪いが、もはやインチキ新興宗教の教義に洗脳されるがごとく、あの都市伝説の虜となっている自分は、期待を胸に抱き、胸を踊らせいざ施術となった…

 

…が、やはり、胸は当たらなかった。そして、医療費の返金もなかった。

(なんでだよ!!!!!!!!!!!!)と家に帰って叫んだ、オイオイ泣いた、かは覚えていないがそのぐらいの気持ちだった。

モバゲーで目にしたあの都市伝説が、一人の青年の人格を、限りなく無意味に狂わしていた。

 

5.

 20歳のとき、市内の専門学校に通っている女性と付き合っていた。

彼女が通っていた専門学校というのが、他でもない「歯科衛生士」の学校だった。

 

 その事を知って、付き合ってから真っ先に聞いたのは、あの都市伝説についてだ。

「都市伝説で読んだんだけど、歯科衛生士ってマニュアルでおっぱい当てる決まりになってるって本当?もし本当だったら授業でそれも教えられるの!?」

なるべく冷静を装ったが多分内心を隠せていなかったことだろう。(ついに真実が聞ける!!)と期待に満ちた目になっていたかもしれない。そして、マジでこれを聞いたから救いようがなかった。

 

 彼女の返答は「いや、ないよ(笑)」という簡素なものだった。

 

 …ここまで2回、この都市伝説に裏切られている自分だったが、まだ心のどこかで信じたい気持ちのほうが勝っていた。

そして、内部事情に通じている彼女のセリフを聞いても、まだ夢から醒められず、この後に(でも実は…)的な形で肯定してくれるのではないか!?という数%の望みを抱いていた。

 

 その望みが表出した結果、(…それで?)みたいな顔をしてしまった。

否定の返答をされたのに、なぜかワクワク顔でまだ返答待ちをしているのは、実に奇妙だったことだろう。

 

 彼女は、僕の(…それで?)顔を見て、一瞬(?)という顔をした。

 

 短い沈黙の後、

「…でも、大きかったら、当てようとしなくても当たっちゃうこともあるかもね。仕事中は一生懸命だから」

と付け加えた。彼女はエスパーで心が読めたのだろうか。思っている通り、望みをつなぐようなことを言ってくれたのだった。

 

 「……だよね!!!」と、輪をかけて希望的な顔をしている僕を見て、彼女の(?)顔は強まるばかりだった。

 

 こんなやり取りもあって、まだこの都市伝説について、完全に打ち消すことは出来ず、残り2本の親知らずを抱えた僕は心を躍らせていた。

彼女はいたけど、それとは別に、日常にあるラッキーエロに期待していたのだ。歯医者に。

 

6.

 後日、彼女の友達と街中でばったり会い、少し話す機会があった。

 今から思えば病的だと思うが、僕が頃合いを見てその友達に質問したのは、またしてもあの都市伝説についてだった。

もはや僕自身が「歯科医療関係者に会う度、おっぱいの都市伝説について聞いてくる男が居る!?」という都市伝説に成り果ててもおかしくない。

 

 友達の返答は「いや、ないよ(笑)」というものだった。

僕は、お決まりの(…それで?)顔の後、「でも人によっては当たることもあるんでしょ!?!?」と、彼女が言ってくれたセリフを担保にして付け加えた。

 

 すると、「いや、ないない。そういう人も当たらないように気をつけてるし、逆にクレーム言われたら嫌だから当てないよ」と流暢な言葉で完全否定された。

今から思うと当然なのだが、僕は「……そうか……」と残念な顔で長い夢の終わりを噛み締めるほかなかった。

彼女はめちゃくちゃ優しい人だったので、何か僕が抱いている幻想めいたものに気を使って、ファンタジーを壊さないようにしてくれていたのだろう。

 

 その後、残り2本の親知らずは、徐々に顕著化していき、3本目は完全に真横に生えた。

 以前行った近所のダイエーの歯医者の施術がかなり手際よく、術後の経過も良好だったので、引き続きそこに通った。

あれだけ完全否定され、事実として一度も当たっていないにも関わらず、まだ心のどこかで「当たるんじゃないか…」と思っていたが、またしても全く当たらないまま2本の抜歯は終了した。もちろん医療費も返還されなかった。

 

 すべての親知らずを抜き終わった僕の脳からは、あの都市伝説が消え

「歯医者に行ってもおっぱいは当たらない。リラックスさせる試みは院内の内装や音楽の選曲などで行っている。おっぱいを当てることはマニュアル化されていないし、歯科衛生士の学校でも教えていない」という、新しい常識が生まれた。

文章化して改めて思うけどめちゃくちゃ当たり前だよ!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 そして、全部の親知らずが抜けた頃、20歳らしい自然なすれ違いの顛末で、その彼女とは別れた。あの人は親知らずの妖精かなにかだったのだろうか。

人から親知らずの話を聞くと、何となくこの頃の彼女との、あのやり取りが頭に浮かぶ。これまたハイパー無駄パブロフだろう。

 

 結果3本の親知らずを抜いたその病院では、抜いた親知らずを歯の形のケースに入れて持ち帰らせてくれた。(しかもストラップ付き。携帯につけて持ち歩くのか!?自分の親知らずを)

その歯のケースを、おもむろに友達に渡して「開けてみて」と言って、「ギャー!!!!」となる反応を楽しんだりしていた。僕の親知らず関係の思い出は、どれもロクでもない。

<完>

084 都市伝説が好き (前編)

『親知らずの思い出』(前編)

 

1.

 都市伝説が好きだった。

 僕が高2ぐらいの頃、今はなき(あるの!?)モバゲータウンがかなり流行っていて、最初は安易に流行りに乗りたくないという、10代らしい無駄なトガリから会員登録することを避けていた。

 

 最終的には「周りみんなやってるし」というこれまた10代っぽい同調で、例に漏れず僕もモバゲーを始めた。こういうトガリは今も昔も本当に無駄である。

 

 モバゲーを始めてから、モバゲーに登録している色んな人のページに公開されていた、”都市伝説まとめ”みたいのを狂ったように読み漁った。

もともと雑学好きだったということもあって、そういうところで仕入れた情報を得意げに人に披露したりしていた。

 

そして、当時なぜか「カーペンターズのベストアルバムを、暗い寮の部屋で聞きながら、延々都市伝説を見る」というスタイルがお決まりだったので、今でもカーペンターズを聞くと、怖い都市伝説を思い出して背筋が寒くなったりする。

めちゃくちゃな無駄パブロフが形成されてしまったな。

 

2.

 その都市伝説の中でも、特に信じていたのが、

 「歯医者の治療で、歯科助手が施術中におっぱいを当ててくるのは、痛みを忘れてリラックスしてもらうためワザとやっている。なので、歯科助手・歯科衛生士のマニュアルとして、患者におっぱいを当てる決まりなのです」というものだった。

 

 これは本当に信じていた、いや、信じたかったというほうが正しいかも知れない。

 

 この噂をモバゲーで読み、当時寮に住んでいた友達たちに、すぐにその話をした。

友達の一人、レミオから「地元の歯医者にたまに行くけど、たしかにおっぱい当たるわ。」という有力証言を得られた。

 

 レミオの証言を(真に)受けて、僕はかなり色めきだった。

しかし、僕は生まれつき、歯と目だけはめちゃくちゃ健康で、20代後半になった今日まで、定期検診や抜歯以外、虫歯などの治療で歯医者に行ったことがない。その当時も、虫歯は一つもなく見事に健康だった。

 

 キャバクラなどにいける年齢でもない10代の自分にとって、その都市伝説以降、もはや歯医者は「合法的におっぱいを当ててもらえる施設」という風に脳内で映っていた。

もともと歯医者に馴染みがないこともあり、結構本気でそう思っていた。根拠はないけど、本気で思ってるんだと『粉雪 / レミオロメン』状態だった。(奇しくもレミオとかかっている)

 

 それからというもの、歯医者に行くきっかけを作るために、ワザと、夜寝る前にあっまーいチョコを食って歯を磨かずに寝てみたりした。

それでも、毎日朝晩と歯磨きをして口腔環境を清潔に保ってきた身としては、心地が悪すぎて、結局夜中の2時ぐらいに起きて歯磨きをしにいった。ワザと虫歯になるなんて出来なかったし、する意味がなかった。今思うとゾッとする。健康なままで良かった。

 

 そして、そこまでする目的は「合法的におっぱいを当ててもらう」だ。この時は高2だったが、中2の頃の(以前書いた)エロみじの話から一切成長していないことがわかって頂けるだろう。

032 エロに翻弄されて惨めになった話を聞くのが好き(後編) - やなせ京ノ介の好きなことを好きなだけ話すブログ

 

3.

 それから一年ほど経ったある日、「合法的におっぱいを当ててもらう施設」に行く理由がなく意気消沈していた僕の身体に変化が起こった。

 寮で昼ごはんを食べている時に、奥歯に何か違和感を感じたのだ。

数週間その違和感を放置していたが、徐々に拭えなくなり、奥歯で物が噛めないぐらい痛くなってきた。

 

 寮で同部屋だった相澤にその事を相談すると、どうやら「親知らず」というものらしい。

当時(今もだが)べらぼうに世間知らずだった僕は、親知らずの存在を知らなかった。「親知らず・知らず」だった。もはや言うまでもないが、その時は、奥歯の後ろからもう一つ永久歯が生えてきて、歯列を圧迫している状態だった。

 

 …ということは…?念の為、相澤に確認すると「歯医者に行くしかないね」とのことだった。

普通の人より経験がないぶん、もちろん歯医者に行くことの恐怖はあった。ただ、その恐怖の中に5%ぐらい(結構な割合だな)合法エロに対するワクワクが立ち上るのを、たしかに感じていた。

 

 善は急げとその週末に予約をして歯医者に行った。歯医者に行くことに対してあんなに色めきだっていたのは、後にも先にも10代の、都市伝説に脳を侵されていた僕ぐらいだろう。行くべきだったのは歯医者じゃなくて脳外科だったかもしれない。

 

 行った歯医者は、そもそも施術自体の腕が悪いのか、かなり痛かった!!口の中を器具でかき回されるのがあんなに不快だとは…何か先の曲がった器具で、ゴリッゴリっとされる度に、頭蓋にその音が響き「頭蓋骨って普段からあるんだよなあ」と改めて存在を認識せざるをえなかった。

しかも、麻酔が1週間ぐらい残り続けて、その間片方の口がずっとブヨブヨな感覚だった。

 

 更に、結果として施術中、一度もおっぱいが当たらないという三重苦だった。あれだけ楽しみにしていたのに…厳密には二重苦なのだが、僕の頭が悪いことで、一つ思い込みの苦が発現し、三重苦が実現する形となった。

 

 そんなこんなで、僕の歯医者施術初陣は、あれだけ信じていた都市伝説が打ち砕かれる形で、ほろ苦のデビュー戦となった。

(続きます)

083 トッピングが好き

『十人十色 好きなら問題ない』

 

1.

 先日、阿佐ヶ谷を散歩していて、途中トイレに立ち寄ったコンビニで飲み物を買った。

 

 時間は昼メシどきだった。

 レジで、前に並んでいた20代後半~30代前半ぐらいの男性が買っていたものを何気なく見ると、

 

 

というラインナップが並べられていた。

 

 この組み合わせに驚いた。

 これどう考えても食べ合わせ悪くない!?

人の食の趣味についてとやかく言うことがよっぽど悪趣味だが、それでもこの組み合わせには疑問を抱かざるをえなかった。

 

 まず、豚キムチラーメンと、おでんという「汁物2種」がある点。あんまりカップ麺とインスタント味噌汁を一緒に食うとかない。

そして、この「どちらかというと”和”2種の組み合わせに対して、ベーコンとチーズのパンを一緒に食う」センス。

 

 極めつけは、「飲み物が牛乳」という点!パンはいいとして、豚キムチラーメンを食った後、ましておでんを食った後、どの口にも牛乳が合わない。失礼だが、想像するだけで何となく吐◯◯感が立ち上ってくるのは自分だけだろうか。

 

2.

 ここまで極端な組み合わせをはじめて見て、目について気になってしまったので、コンビニを出て、一緒に歩いていた二人にもその事を話した。

 

 そのリアクションは、二人ともにわかには信じがたいといった様子で、自分の感覚がズレていないことに安心した。ホラー映画で変な村に行きめちゃくちゃ怖い思いをした後、その体験を話して理解してくれた人がいたときの安心感ってこんな感じか。大げさか?大げさだな。

 

 「その組み合わせの何がおかしいか」ということを数分話し続けているうちに、考えれば考えるほど悪趣味なその組み合わせに気味が悪くなり、

ついには「職場の人に頼まれて、二人分の昼食を買ったのではないか」という説が飛び出した。

 

 もしも、二人分の昼食を買ったのが事実だとしても、一人2品だとして

豚キムチラーメン&パン と、 おでん&牛乳」

「おでん&パン と、 豚キムチラーメン&牛乳」

豚キムチラーメン&おでん と、 パン&牛乳」など考えうる組み合わせを探すが、どうしてもおでんが食べ合わせから浮いてしまってパズルが完成しない。

 

 もしくは、分け方が「豚キムチラーメン&パン&牛乳と、おでん」という偏ったものなのだろうか?などいろいろ考えた。

 

 いずれにしても、そのあんちゃんはくすんだ作業着を来ていたので、恐らく肉体労働であると思われる。

肉体労働職のお昼ご飯が、おでんのみというのは心もとないし、午後から力が湧かず頑張れないのではないか!?ということから、この可能性も消えた。

 

 そもそも、この「2人で食うのでは説」も、「”豚キムチラーメン&ベーコンとチーズのパン&おでん&牛乳”なんて悪趣味な組み合わせで食う人がいるなんて信じられない。まともな味覚を持った人だと信じたい」という我々の気持ちから来ている。

 

 その後、「3人で食うのでは説」まで飛び出し

豚キムチラーメンだけの人と、 パン&牛乳の人と、 おでんだけの人」なのではないか

と仮説を立てたが、やっぱり肉体労働した後の昼がおでんだけ!?!?というところのピースがどうしてもハマらない。

やっぱり、ただただ味覚オンチな人だろう…という結論を残して、この話は終了した。

 

 何よりツッコミたかったのは、こんなにおかしな食べ合わせなのに、選んでいたおでんの具が「大根・たまご・ちくわ」と爆裂にオーソドックスだったことだ。

そこも奇妙であれ!!!!!!!!!!!!昔サンクスでやってたチビタのおでんか!!!!!!!!!と思った。

 

3.

 あんちゃんが買っていたラインナップから思い出したのだが、僕は、『エースコック スーパーカップ1.5倍 豚キムチラーメン』を大学時代よく食っていた。

 

 自分は、トッピング大好き人間で、カップ麺にも何かしらのトッピングを、ほぼ必ず加える。

 鍋やカレーを家で作るときも、なるべく自分オリジナルの具材の配分やバランス、調味料の配合を見つけたいタイプなので、食べ物に関しても「チューンナップ出来る」感覚が好きなのかも知れない。

 

 『エースコック スーパーカップ1.5倍 豚キムチラーメン』を作るときのトッピングは、最初は「とろけるチーズを加える」ぐらいだったものが、改良(?)を重ねるうちに、過剰になっていき最終的には

 

  • とろけるチーズ
  • 湯戻しした乾燥ワカメ
  • 大量の乾燥ネギ
  • 溶き卵
  • 納豆
  • 本物のキムチ

が毎回トッピングされていた。

 

 あのデカイカップが毎回なみなみだったし、スープもヌルくなっていたし、そもそも粉末スープが溶けにくくなったりしていた。

それでもこの組み合わせをよくやっていた。

 

 しかも、「ワカメと卵とキムチ、しかも納豆まで入ってるから健康だよ」と周囲にのたまったりしていた。そもそもベースが健康じゃない。「マジックハンドでしか触ってないから痴漢じゃないよ」と言っているようなものだ。

 

 あるとき、このトッピングについて、先輩の順平さんに話すと「俺もやってる!!」と言われてビックリした。

僕が「調子いいとき納豆2パック入れるんですけど、めちゃくちゃウマイですよ」というと、

順平さんは「うわ~(共感で片目をつぶりながら)」と言っていた。

この共感、世界一スモールスケールで意味なしだなと思い返して懐かしくなるが、わかりあえて凄くテンションが上った。

 

 最近は、20代も後半になり、この組み合わせどころか、カップラーメンを食うとわかりやすく具合が悪くなるので、ほとんど食わなくなったが、大学時代は本当に良く食ったものだ。

 

4.

 羽田空港に向かう電車の中で、この豚キムチラーメンへのトッピングのことを、阿佐ヶ谷を歩いていた3人で話した。

 

 そのメンツには順平さんは居なかったので、もちろん誰にも共感を得られなかった。だって、世界中で俺と順平さんしかしていないだろう組み合わせだから。

 

 さっきまであんなに「”豚キムチラーメン&ベーコンとチーズのパン&おでん&牛乳”なんて組み合わせで食う人間がいるなんて信じられない」と語り合っていたにも関わらず、なんてことだ!

そして、自分のもう一つ大好きだった「カップヌードルカレー味にスパイスガン振り+納豆+かつおぶし+とろけるチーズ」の組み合わせも共感を得られなかった。

そもそもみんなカップラーメンにトッピングをしないらしい。

 

 羽田空港につき、夕飯時なのでメシでも食おうとなった。

 さっきまで、高円寺~阿佐ヶ谷あたりの安すぎる飯屋の価格帯を眺めていたこともあって、空港のメシ屋がすべて割高に見えてしまった。(関係ないけど普段割高って言葉聞いたら「パリ・ダカールラリー」って、ダジャレなのかダジャレじゃないのか微妙なことを毎回言ってる)

 

 最終的に、ホットドックをテイクアウトして、コンビニで缶ビールを買って、フリースペースみたいなところで飲もうとなった。

立派で広いテーブルに、ジャンクフードと缶ビール。気分はすぐに宴になった。

 

 そのうち気分が良くなり、マックのポテトを買い足しに行ったり、柿ピーを買い足したり、と完全に宅飲みの様相を呈していた。

気づくと自分は、芋焼酎の小さいペットボトルを持って飲んでおり、大学生の宅飲みか!!というたとえツッコミがバチッとハマるようなロケーションになった。

f:id:yanakyo:20181222192919j:plain

 

 「空港で何やってんだ。空港でこんなん飲むやつ居るのか!?」と自分でも思ったし、ワインの試飲を配っている人に若干奇異な目で見られながらも楽しんだ。

しかも自分は飛行機に乗っていない。友達を送るだけ送って、ほろ酔いでモノレールからの景色を見ながら帰った。

 

 この「空港宅飲み」。気分は宅飲みだけど、出発時間の大きなボードが目の前にあったりと、日常と非日常がクロスオーバーする感じで、年末のささやかな思い出となった。(二度はしないけど…笑)

俺も似たようなことしてるじゃん。誰かから見たら悪趣味かも知れない。

だから、阿佐ヶ谷で見たあのあんちゃんに一瞬でも気持ち悪っと思った自分を、一日のうちに少し恥じた。

 

 あんちゃんよ、思う存分”豚キムチラーメン&ベーコンとチーズのパン&おでん&牛乳”を食ってくれ!!!!!!!!!!!

そしてロバートよ、百万円目指して、笑いを、取れ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!(イロモネア)

 

でもやっぱおでんの後の牛乳味を想像すると気持ち悪いな~給食で無理矢理食わされてるんじゃないんだから!!!(ゴメン!!!!!やっぱ我慢できねー!!!)