085 都市伝説が好き (後編)
(↓前回からの続きです)
『親知らずの思い出』 (後編)
4.
更に2年が経ち、20歳になった頃、残り三箇所の親知らずが同時多発的に生え始めた。
そのうち一本が顕著化し、物を噛むのが困難になって「歯医者に行かなきゃなあ」と思うと同時に、やはりあの都市伝説の存在を思い出した。いや、忘れられていなかったというほうが正しいのかも知れない。
「歯医者の治療で、歯科助手が施術中におっぱいを当ててくるのは、痛みを忘れてリラックスしてもらうためワザとやっている!なので、歯科助手・歯科衛生士のマニュアルとして、患者におっぱいを当てる決まりなのです!!!」
2年前にこの都市伝説に裏切られたことは都合よくすっかり抜け落ち、頭の中では末尾に感嘆符がつくほどに説が熟成されていた。
当時、ガラケーの小さい画面で見たはずの文字が、スポーツ新聞の見出しのごとく巨大な級数で、脳内に躍るのだった。
ー もう二度とは裏切られたくない ー
そんな思いが心の中にあった。勝手にその説を信じていただけで別に裏切られていないのに。
ー “マニュアルとして、患者におっぱいを当てる決まり”なのだとしたら、おっぱい当てるのも治療費に含まれているのではないか!?!?今度当たらなかったら、一部返金して貰えるかな ー
という思いも心の中にあった。本当にどうかしていた。この事をきっかけに、「おっぱいを当てなかった場合は、医療費5割返金!」のマニフェストを掲げ、参議院選に出馬したのは、これから数年後のことだった。
近隣の歯医者を歩いて下見したりしたが、もちろん「おっぱいを当てる歯医者か・当てない歯医者か」なんて見分けられるわけがない。もし「おっぱい、当てます」と看板に書いている歯医者があったら、”一生に四回しかない”親知らずの抜歯の場面とあっては、優先的に選んだことだろう。
挙句の果てには、「札幌 おっぱい 歯医者」で検索したりしていた。もちろんヒットしなかった。もはやノイローゼである。
途方に暮れ、結局、近所のダイエーの中に入っていた歯医者を予約した。
予約当日訪れると、内装はピカピカで、歯科助手さんもマスクをしているがキレイな人ばかりだった。
今となっては完全に気持ち悪いが、もはやインチキ新興宗教の教義に洗脳されるがごとく、あの都市伝説の虜となっている自分は、期待を胸に抱き、胸を踊らせいざ施術となった…
…が、やはり、胸は当たらなかった。そして、医療費の返金もなかった。
(なんでだよ!!!!!!!!!!!!)と家に帰って叫んだ、オイオイ泣いた、かは覚えていないがそのぐらいの気持ちだった。
モバゲーで目にしたあの都市伝説が、一人の青年の人格を、限りなく無意味に狂わしていた。
5.
20歳のとき、市内の専門学校に通っている女性と付き合っていた。
彼女が通っていた専門学校というのが、他でもない「歯科衛生士」の学校だった。
その事を知って、付き合ってから真っ先に聞いたのは、あの都市伝説についてだ。
「都市伝説で読んだんだけど、歯科衛生士ってマニュアルでおっぱい当てる決まりになってるって本当?もし本当だったら授業でそれも教えられるの!?」
なるべく冷静を装ったが多分内心を隠せていなかったことだろう。(ついに真実が聞ける!!)と期待に満ちた目になっていたかもしれない。そして、マジでこれを聞いたから救いようがなかった。
彼女の返答は「いや、ないよ(笑)」という簡素なものだった。
…ここまで2回、この都市伝説に裏切られている自分だったが、まだ心のどこかで信じたい気持ちのほうが勝っていた。
そして、内部事情に通じている彼女のセリフを聞いても、まだ夢から醒められず、この後に(でも実は…)的な形で肯定してくれるのではないか!?という数%の望みを抱いていた。
その望みが表出した結果、(…それで?)みたいな顔をしてしまった。
否定の返答をされたのに、なぜかワクワク顔でまだ返答待ちをしているのは、実に奇妙だったことだろう。
彼女は、僕の(…それで?)顔を見て、一瞬(?)という顔をした。
短い沈黙の後、
「…でも、大きかったら、当てようとしなくても当たっちゃうこともあるかもね。仕事中は一生懸命だから」
と付け加えた。彼女はエスパーで心が読めたのだろうか。思っている通り、望みをつなぐようなことを言ってくれたのだった。
「……だよね!!!」と、輪をかけて希望的な顔をしている僕を見て、彼女の(?)顔は強まるばかりだった。
こんなやり取りもあって、まだこの都市伝説について、完全に打ち消すことは出来ず、残り2本の親知らずを抱えた僕は心を躍らせていた。
彼女はいたけど、それとは別に、日常にあるラッキーエロに期待していたのだ。歯医者に。
6.
後日、彼女の友達と街中でばったり会い、少し話す機会があった。
今から思えば病的だと思うが、僕が頃合いを見てその友達に質問したのは、またしてもあの都市伝説についてだった。
もはや僕自身が「歯科医療関係者に会う度、おっぱいの都市伝説について聞いてくる男が居る!?」という都市伝説に成り果ててもおかしくない。
友達の返答は「いや、ないよ(笑)」というものだった。
僕は、お決まりの(…それで?)顔の後、「でも人によっては当たることもあるんでしょ!?!?」と、彼女が言ってくれたセリフを担保にして付け加えた。
すると、「いや、ないない。そういう人も当たらないように気をつけてるし、逆にクレーム言われたら嫌だから当てないよ」と流暢な言葉で完全否定された。
今から思うと当然なのだが、僕は「……そうか……」と残念な顔で長い夢の終わりを噛み締めるほかなかった。
彼女はめちゃくちゃ優しい人だったので、何か僕が抱いている幻想めいたものに気を使って、ファンタジーを壊さないようにしてくれていたのだろう。
その後、残り2本の親知らずは、徐々に顕著化していき、3本目は完全に真横に生えた。
以前行った近所のダイエーの歯医者の施術がかなり手際よく、術後の経過も良好だったので、引き続きそこに通った。
あれだけ完全否定され、事実として一度も当たっていないにも関わらず、まだ心のどこかで「当たるんじゃないか…」と思っていたが、またしても全く当たらないまま2本の抜歯は終了した。もちろん医療費も返還されなかった。
すべての親知らずを抜き終わった僕の脳からは、あの都市伝説が消え
「歯医者に行ってもおっぱいは当たらない。リラックスさせる試みは院内の内装や音楽の選曲などで行っている。おっぱいを当てることはマニュアル化されていないし、歯科衛生士の学校でも教えていない」という、新しい常識が生まれた。
文章化して改めて思うけどめちゃくちゃ当たり前だよ!!!!!!!!!!!!!!!!
そして、全部の親知らずが抜けた頃、20歳らしい自然なすれ違いの顛末で、その彼女とは別れた。あの人は親知らずの妖精かなにかだったのだろうか。
人から親知らずの話を聞くと、何となくこの頃の彼女との、あのやり取りが頭に浮かぶ。これまたハイパー無駄パブロフだろう。
結果3本の親知らずを抜いたその病院では、抜いた親知らずを歯の形のケースに入れて持ち帰らせてくれた。(しかもストラップ付き。携帯につけて持ち歩くのか!?自分の親知らずを)
その歯のケースを、おもむろに友達に渡して「開けてみて」と言って、「ギャー!!!!」となる反応を楽しんだりしていた。僕の親知らず関係の思い出は、どれもロクでもない。
<完>