032 エロに翻弄されて惨めになった話を聞くのが好き(後編)

(↓前編からの続きです)

031 エロに翻弄されて惨めになった話を聞くのが好き(前編) - やなせ京ノ介の好きなことを好きなだけ話すブログ

 

『エロに翻弄されて惨めになった話 ~略してエロみじ~』(後編)

 

4.

 そうやって客観視してストーリーテーリングしている僕にも、童貞時代の”ジェネリックおっぱい”に関する『エロみじ話』がある。

 

 谷本少年と同じように、別の地で当時中学生のやなせ少年は「どうしてもおっぱいが触りたい」→「でも触れない」→「ならばどうするか」→「おっぱいの感触の代替となる何かを触りたい」という思考まで行き着いた。童貞将棋の棋譜は、概ね同じような戦略に行き着く。

 

 僕の地域で、童貞仲間から聞き出した情報は「時速60km/hの車の窓から手を出すと、Dカップのおっぱいを触っている感触と同じらしいよ」ということだった。

 童貞というのは不思議なもので、童貞同士でマウンティングをする場面がある。”少しでも余裕のある自分”を演出するために、エロ情報に対して「興味ないよ?」と時に冷笑的な態度を取ってみたりするのだ。

 

 その日は僕が童貞マウンティングの周期を迎えていた。ジェネリックおっぱい情報としてあまりに有益な”時速60km/h Dカップ理論”を目の前に、「そんなわけねーじゃん。ハハッ、良くそんなこと考えるやつ居るよな」みたいな態度で冷笑的に余裕を演出してみせた。

 

 しかし、心根では触りたくて触りたくて仕方ない状態の自分。

「隣町にCDをレンタルしに行きたい」など適当な理由をつけて、「今日じゃなきゃダメなんだ」と頼み込み母親に車を出してもらった。

後部座席から、しきりにスピードメーターを確認し、60km/hになった途端「今だッッッ!!」と窓を開け、手のひらを思いっきり開き、揉むように動かした。

 

 (……こういう感触か……これがDカップなのか………)

 

とこちらでも待ちに待ったジェネリックおっぱいのお出ましに、光悦の表情を禁じ得なかった。どころか多少ニヤニヤしていたかもしれない。

母はこのことを知らないだろうが、後部座席で風を感じながらニヤニヤしていた我が子の表情に何を思っただろう。

 

5.

 翌週ぐらいになると、童貞仲間数人はそれぞれのタイミング・ロケーションでこの”時速60km/h Dカップ理論”の実証実験を行い終わっていた。

家庭科室で、その感想を口々に語る面々。ある者は「本当に感動した、興奮した」と語り、またある者は「実際のを触ったことがないのでよくわからなかった」と語った。

その一方である者は「あんなので喜んでいるやつはバカ」と、童貞マウンティングの満潮の周期を迎えていた。

 

 ただ、皆確かに、この理論により全員のステージが一つ進んだこと・文明開化の音を内耳で感じている様子であった。

ならば、ジェネリックおっぱいを触れればそれで終わりか、と言うとそこで終わらないのが中学生である。

 ある者(というか中学生時代の俺。)が、「……じゃあさ………時速60km/hの車の窓から、自分のモノを出したら………~ズリじゃね!?!?!?!?」と提唱した。

これは、コロンブスの卵的発想だったようで、一同はそれだ!!とさらなる盛り上がりを見せた。

 

 しかしながら、運転をするのは皆一律に親や祖父母である。

自慰行為を見つかることですら恥ずかしいのに、親が運転する車の後部座席でスピードメーターを確認しながら、窓から自らのモノを野外に出すことなど出来るはずがない。

 

 皆、真剣にどうするか考えた。親に見られないように目隠しをしたり、目をつぶってもらっておこうか、という案も出たが「それでは事故につながる」という建設的な批判が出た。

「そもそもこの議論自体が建設的ではない」という建設的な批判はとうとう最後まで出なかった。

 

 数分議論した結果、

 

「俺らの誰かが免許を取るまで待つしかない」

 

という結論に至った。すべてが間違っている。

この議論の過程および窓から手を出して光悦の表情をしていた時間は、間違いなく『エロに翻弄されて惨めになって』いたが、それを客観的に気づくものも居なかった。

ある意味幸せ者の集まりだったなあ、とこの時のことを振り返って思う。

 

 そして”時速60km/h Dカップ理論”の実践後も、特にこの「おっぱい触りたいパズル」が解けることはしばらくなかった。

ある日、やっちが「じゃあ時速120km/hだったらHカップじゃね!?!?!?」と言った。そういう問題ではなかった。

 

6.

 そこから数年が経ち、18歳になると、大体の友達が高校卒業に合わせて免許を取っていた。まだ免許を持っていなかった僕は、みんなの車に乗せてもらう専門だった。

免許取り立てにありがちな、用事もないのにやたらと集まってやたらと車に乗ってドライブする、ということを春休みの間頻繁に行っていて、それは楽しかった。映画『アメリカン・グラフィティ』の夜のようだった。

 

 あの日の童貞未来会議の結論も誓いも、その車内では俎上に上ることはなかった。まして実践するものも当然居なかった。

 自分も含め、皆少年から青年に変わる過程でジェネリックではない、本物のおっぱいの感触を知ってしまったからだ。「おっぱい触りたいパズル」は時限装置のように解けていた。

 

 今思うと、目の前に、あの日あんなに待ちわびていたジェネリックおっぱいがあるにも関わらず、誰も触りたがらなかったのは、中学生当時の我々が見たら「とんでもねえ!!!もったいねえ!!!!」と口々に叫び、糾弾していただろう。

飽食の時代を迎え、ステーキの味を知った我々には、大根の葉っぱや、すいかの皮は食うに足らないものになってしまっていたのだ。

そもそも野外で車内からイチモツを出すことが犯罪である、という重要な視点も、中学生当時の我々には抜け落ちていた。それぐらい必死だったのかもしれない。

 

 歳を経て、20代後半になった今、おっぱいのことを考えている時間は24時間中18時間ぐらいに減ったが、ふとしたはずみで『エロみじ』の臨界点を迎えることも相変わらずある。

 世の男性は少なからず、忍び寄る『エロみじ』の影と闘っているということを、女性にはほんの少し理解いただき、犯罪行為はNoだし女性に直接不快なことをするのも勿論Noだが、そうでない範囲でこっそり楽しんでる限りは多目にみて優しく見守ってあげて欲しい。そういう理解のある大人の女性を、男はすぐに最大限リスペクトしてしまうだろう。

 

 

 これからも『エロみじ』と上手く付き合いながら、世の男性は歳を重ねていくのである。

 

<完>