025 リキュールが好き(と、のたまっていた) <上>

『さらば”大人の基準”』(前編)

 

1.

 小2の時、学校の制度で強制的に”ハンコ注射”をされるイベントがあった。

たしかこれは、赤ちゃんの頃に予防接種を受けていなかった児童たちが対象だったと思う。

 

 僕は幸い、赤ちゃん時代に自主的に書類を書いてハイハイで町民会館に行き、「ダァ~(予防接種を受けに来ました)」と保険証を出し予防接種を受けていたため、ハンコ注射は免除となったのだが、大半の児童は予防接種を受けていなかったため対象となり、皆朝から緊張している様子だった。

 

 「おれは受けなくていいもんね~」といい気なもんだったので、皆が緊張している様を観察していた。

僕がMCで、みんなが芸歴3年目の若手芸人なら「ちょっと~金持ちの道楽じゃないですか~!」とひな壇から突っ込まれているだろう。

 すでにハンコ注射を経験している姉が居る菊池くんは、姉から伝聞で聞いたその痛みの知識を詳細にレポートし皆に啓蒙した。「だってまだ腕に跡が残ってるんだよ!」と、普通のハンコ注射の性質を声高に叫んでいた。

輪をかけて恐れおののく一同の中には、神頼みを始めるやつまでいた。

 

2.

 放課後、ハンコ注射が始まった。特に用事のなかった僕は、なんとなくハンコ注射の待機列の横に居て、「どう?怖い?どんな気持ち?」とインタビューをしたりして時間を潰していた。僕がMCで、みんなが芸歴3年目の若手芸人なら「ちょっと~サイコパスじゃないですか~!」とひな壇から突っ込まれているだろう。

 

 通っていた小学校は増改築を繰り返しており、増築された部分は”新校舎”、以前からあった部分は”旧校舎”と呼ばれていた。旧校舎はカビ臭く、窓も少ないため昼間でも暗くジメジメしていた。

 そして、ハンコ注射が行われている教室は旧校舎の入り口あたりにあり、中からは絶えず絶叫がこだましていた。

新校舎から続く待機列に並ぶ児童が、暗い旧校舎の教室に吸い込まれていく様は、まるで部族の秘められた儀式や拷問のようだった。

涙目や、実際に目から涙が溢れた状態の児童が何人も出てくるのを、「そんなに痛いんだ~」とずっと他人事のように観察していた。我ながら嫌なやつだった。

 

 そして、待機列の残りが30人を切った当たりで、一人の児童が大慌てで僕らのところに駆け寄りこう叫んだ。

 

 「大変だ!!!!やっちがハンコ注射で泣いた!!!!!」

 

 やっちとは、同級生の中でもガタイが大きく、昭和風に言うならガキ大将的な扱いをされていた男だ。

「風が吹いても泣く」(泣風)でお馴染みの小学二年生の群れの中にあって、やっちは、決して同級生の前で涙を見せなかった。小学一年生の頃から、ドッジボールで顔面にあたっても、チャリで転んでも、泣いたところを見たことがなかったのだ。

“やっちが泣く”というのは、”性病科にいる童貞”ぐらいありえないことの例えで、ことわざとして使われるレベルであった。

 

 そんな姿をかねがね見ていた我々にとって、「やっちが泣いた」というニュースは衝撃的で、一斉に学年中に轟いた。

待機列に居る児童・僕のように物見遊山の児童・そしてすでにハンコ注射を終えた児童さえも、涙を乾かす間もなく教室の前に大挙した。

 

 江戸時代の、幕府からのお触れの看板を見る民衆のように、人並みの中から教室を見ると、腕を抑えながら泣いているやっちがいた。

みんな「すげー!やっちが泣いてる!!」と、まるでジャイアントパンダの子供でも見るように、確認したものから一人一人去っていった。

僕も何とか隙間から確認をしたが、やっちの泣き方は、小2にありがちな「ビエー!!!」というタイプのものではなかった。片腕で目を覆いながら、しずかに男泣きをしていた。

 

 普段涙を見せない時点で「なんか大人だな~俺らとは違うな~」と思っていたが、その姿を見て更に何倍も「大人だ…」と思って驚いたことを覚えている。

ほえ~となりながら、その場を去ろうとすると、待機列に並んでいた、かずま君がガタガタと震えていた。「やっちでも泣く注射、おれには無理だよ…」という気持ちだったのだろう。かずまもその後順当に泣いていた。

 

 このことからも、小学生の半ばぐらいまでは、「大人の基準」が”泣かないこと(痛かったり悲しかったりしても)”だった。

その後、高学年になって「親と一緒の寝室で寝てない」とか、中学生になって「親に服を選んでもらっていない」「エロサイトを見たことがある」とか、高校生になって「童貞じゃない」とか、大学生になって「酒を飲んだことがある」とか刻々と変化していったように思う。

 

今思うと、どの基準も本当に子供じみている。

 

(10代の頃の「基準」を遵守しようとしていたことは、まだ微笑ましく振り返られるが、大人になっても、こういう誰が決めたかわからない「基準」と血まなこで戦っている人を見る。

自分だけでやっているぶんには結構なのだが、他人に押し付けて説教したりしようとする人がいることにときどき驚く。そういう人は、10代と相変わらず自分で考えて判断することできないから不安で、他人にまで押し付けようとするのだろう)

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(続きます)