018 いっぽんでもニンジンが好き

『”いっぽんでもニンジン病”にかかっていた頃』

 

1.

 『いっぽんでもニンジン』が好きだ。

少なくとも僕と同年代±10歳ぐらいの日本人で、聞いたことのない人は居ないのではと思われるほど有名な曲だ。90歳のタイ人のお爺さんは聞いたことがないと思う。

聞いたことのない人のため、久々に聞く人のためにリンクを貼っておく。

www.youtube.com

 

 最初にこの曲を聞いたのは幼稚園の頃。

親が隣町のサンホームビデオで借りてきて、カセットに録音した『ひらけ!ポンキッキーズ』のコンピレーションアルバムを、車内でエンドレスリピートしていた。

田舎で車移動が多かった上、当時は何かというとドライブに行く家庭だったので、一日3時間ぐらいこのアルバムを聞くこともざらにあった。

 

 その中にいっぽんでもニンジンも入っていた。ある日この曲の歌詞の不思議な構造に気づいてから好きになった。

「…一本でも”ニ”ンジン、二足でも”サン”ダルって…数が一つずつ増えてってる…!?」と新鮮に驚いた。

 それが楽しみなのもあってコンピレーションアルバムを聴きまくっていた。

ただ、いっぽんでもニンジンだけを狂ったように聞くようになったのは、そこからずっと後になってからだった。

 

2.

 好きなものをべらべら語っている通り、自分は好きなものが結構多い。

椎名林檎が、好きなものや人が多すぎて見放されてしまいそうだと歌っていたが、幸いにも僕は見放されていない、あるいは見放されたことに気づいていないので、いずれにしても幸せなやつかもしれない。

 

 自分の中では好きなものが一貫しているつもりだし、好きなもの同士には共通点を見つけているつもりでそれを話せるのだが、傍から見たら結構節操なく真逆の要素のものを無理やり引き合わせて好きになっているように見えているかもしれない。

いなり寿司とコーラとボルシチを一緒に食って美味い美味いと喜んでいるやつのようだ。それも本人の口内で絶妙なテイスティングを楽しめていれば、周りがとやかく言うことではないしそれでいいと思う。(お腹を壊したり、無理矢理に人に勧めてきて食わなきゃキレる、とかだと別だが)

 

 その趣向は音楽に関しても例外ではなく、ハタチ前後の頃に愛聴していたのは、キリンジプログレやベルベッツやレジデンツクレヨンしんちゃんちびまる子ちゃんの主題歌集だった。

youtubeでも貪欲に漁って音楽を聞いていた。すると、youtubeのおすすめ欄が僕のクレヨンしんちゃんちびまる子ちゃんの主題歌集好きの部分に反応し、  いっぽんでもニンジン』がおすすめに頻繁に出るようになった。

 

 そのリンクから久々に聞いたいっぽんでもニンジンは、懐かしさはもちろんだが、大人になったからこそ気づく点がたくさんあった。

 幼稚園時代に歌詞の構造に気がついた時の感動が更にブーストされていて、

「…一本でも”ニ”ンジン、二足でも”サン”ダルって…数が一つずつ増えてってる…!?次は一体どうなるのか、予想をしながら聞く楽しみがある………しかもさり気なく子どもたちに単位や数の数え方を教える機能まである…え!?!?!?!?しかも最後はここまで使ったアイテムたちが勢揃いして、”いちご ニンジン サンダル ヨット…”って、先程までの焦らしが嘘のようなスピードでカウントアップして行ってる!!!緩急がそのまま盛り上がり・カタルシスになっている!!!!!うそ!?!?!?!?こんなことある!?!?!?!?!?!?!?」

と思った。

 しかもこの曲は、「じゅっこでも イチゴ」と最初に戻る循環構造になっている。それが癖になってまたいちごから聞きたくなってしまう。本当によく出来ている。

 

3.

 最初は懐かしさから何気なくクリックしたのだが、シンプルかつ聞けば聞くほどよく出来ているな~と感心しまくり、大変気に入った僕は21歳にして毎日この曲を聞きまくった。

 イントロのホーンセクションの「ヴァヴァッヴァーヴァヴァヴァ ヴァヴァヴァヴァー!」というフレーズを聞きたくて仕方なかった。一日一回から多い日で10回ぐらい連続で聞いていたと思う。

 

 文字通り狂ったように聞きまくった。

そして、次第に”狂ったように”が、比喩表現ではなくなり本当に狂ってしまうこととなった。

 

 繰り返し繰り返し聞きすぎるあまり、スーパーでニンジンを見ればすぐにイントロの「ヴァヴァッヴァーヴァヴァヴァ ヴァヴァヴァヴァー!」というフレーズが頭の中に流れる体質になってしまったのだ。

 更にその範囲はニンジンだけに及ばない。サンダル、ごま塩などこの曲に登場する数字のモチーフを目にするだけで「ヴァヴァッヴァーヴァヴァヴァ ヴァヴァヴァヴァー!」がすぐに流れて止まらなくなる。

 そして何よりタチが悪いのは、前述した、この曲が”良く出来ている”要因の一つである「じゅっこでも イチゴ」からの循環構造だった。これがあるせいで、頭の中で曲が終わった後すぐにリピートで「ヴァヴァッヴァーヴァヴァヴァ ヴァヴァヴァヴァー!」と再度イントロが始まってしまう!

イントロが始まってしまうと、すべて歌い終わるまで止まらない。

歌い終わってからも、そこで循環構造を抑えつけないとまた、ブラスの「ヴァヴァッヴァーヴァヴァヴァ ヴァヴァヴァヴァー!」が頭に流れてしまう。

そんなわけで一度モチーフを見ると、3回ぐらい頭の中でリピートが始まってしまうこともザラにあった。その間、一緒にいる友達の話も上の空になっていたりと、このあまりにも無駄なパブロフのせいで、日常生活にも若干ながら支障をきたすことが出てきてしまった。

 

 この”いっぽんでもニンジン病”の症状の末期には、いちごやニンジン、ごま塩だけではなく、「1」や「2」という単一の数字を見るだけで「ヴァヴァッヴァーヴァヴァヴァ ヴァヴァヴァヴァー!」が頭に流れるようになってしまった。

こうなるともう終わりである。街はもはや生活の拠点ではなく、「ヴァヴァッヴァーヴァヴァヴァ ヴァヴァヴァヴァー!」を誘発するための巨大な地雷原と化していた。

 

 かくしてリアルクレイジー・イズ・カム・ヒアとなった。(長嶋監督ばりの英文法である)

 この世界唯一の症例であろう、”いっぽんでもニンジン病”は当時治療法が確立しておらず、どんな名医でも僕の難病を治すことはかなわなかった。

しかし、この病の治療は意外なほど身近なところからなされることとなった。

 

4.

 当時、友達のほくとくんと、一週間に4・5回遊んでいた。

夜中に近所の焼き肉屋に行って、ネギメシとビールだけを頼んだり、スーパーファミコンをしたり、『本当にあった呪いのビデオ』を見て「うわ~…本物じゃん……」と恐れ慄くほくとを見たり、抜群に若者らしい遊び方をしていた。(こういう本当にあった呪いのビデオ系のやつって、みんな馬鹿にしながら見てるものだと思ってたから、個人的には「本当にあった『本当にあった呪いのビデオ』を見て驚く人」を見ているような気持ちだった。本当に居るんだ)

 

 その当時、一週間に4・5回我が家に来ていたということは、その分だけ「いっぽんでもニンジン」を繰り返し聞かされていたということになる。

最初は同じように「懐かしいね~」というリアクションだったほくとくんに、何故この曲がいいかということを手短に解説した。わかったようなわかってないような感じだったが、優しいやつなので、何回かけても文句は特に言わなかった。

 

 ある日、5人ぐらいで朝まで飲んで、明け方にみんなでうちに帰ってきた。

さっきまで2件居酒屋に行ったのにも関わらずほくとは、シーフードヌードルのBIGと、ツナマヨおにぎりと、エビマヨの巻き寿司と、500mlのチョコレートオレを平らげて眠りについた。個人的にはいなり寿司とコーラとボルシチぐらいすごい組み合わせ&すごい食欲&すごい炭水化物含有量だと思う。

 

 翌朝、何気なくテレビをつけると、当時センセーショナルな事件として繰り返し報道されていた片山容疑者による『パソコン遠隔操作事件』についての特集が映っていた。

 

 そこに、速報として

 

 「警視庁、4人を誤認逮捕」

 

というテロップが出ていた。

もともとダジャレが好きで、シンプルなダジャレに弱くすぐ笑ってしまう僕が、クククッと笑いをこらえていると、

起きたばかりで顔がパンパンになっているほくとが、

 

 「4人で~も誤認逮捕♪」

 

と、いっぽんでもニンジンのフシで歌ったのだ!

めちゃくちゃ冴えてる!!!!!!と思ったのと同時に凄い笑ってしまった。ダジャレ×いっぽんでもニンジンという、好きなもの同士の掛け合わせが最高だった。

 

 そして結果としてこのダジャレをきっかけに、僕の”いっぽんでもニンジン病”との闘病は終わりを告げた。

何というか「めちゃくちゃ好きな1つの作品があって、その作品の余白を楽しんだり想像していた所、そのスピンオフ作品を見て大満足して、結果、熱が覚める」みたいな状態になったんだと思う。

 ほくとによる『いっぽんでもニンジン』のスピンオフ作品、『4人でも誤認逮捕』が、自分の思うこの作品に対する余白を埋め、難病の完治に繋がったのであった。

 

5.

 この事はほくとには言っていないし、言われても意味がわからないと思う。自分でも訳がわからないが、とにかくこのことについて感謝している。

 

 そこからはニンジンを見ても、サンダルを見ても、まして「1」や「2」を見ても、あのブラスのフレーズは流れなくなった。

しかし、数年ぶりにこの事を思い出し、このエッセイを書くにあたって何度か聞いたことで、また病気の兆しが蘇ってきた。こういうのも「古傷が疼く」と言うのかな。

書いている今も、「ヴァヴァッヴァーヴァヴァヴァ ヴァヴァヴァヴァー!」のイントロが、頭の中に遠鳴りしている。病魔の足音がすぐ近くにまで迫っているようだ。