054 習い事が好き <起>

『ジャンギーの思い出』

 

1.

 僕は長男で第一子だったので、子供の頃は両親の実験台的に色々な習い事をさせられていた。能動的にしたことはあまりないので、”させられていた”と言う表現になってしまうのが残念だが、今思えば経験になっていてありがたかったこともあるし、反対に全く役に立っていないこともある。

 

 例えば小2~中3までやっていたサッカーは、あまりの肥満児街道爆心ぶりを見るに見かねた母親に「このまま太ったらやばいからサッカーかテニスどっちか選びなさい」と言わたことがきっかけで、

「最近かずま君に借りて64で『Jリーグイレブンビート'97』をやりまくってるから、サッカーでいいか」と思い始めた。

 結果としてあまり熱心にやっていなかったと思うが、大会で色々な地に行ったり友達と遊べたのは良かったし、今の文化系具合からは想像出来ないほど、体育会系っぽい爽やかな汗を流せていたのは良かった。

ただ、サッカーをやってても、夜中に店のあまりもののシュークリームを5個食ったりしていたから、全然太ることは辞められていなかった。それも相殺出来ただけ良かったか。

 

2.

 その他、運動は野球・相撲(この2つは能動的に始めた)、更にくもんや習字、高学年になれば家庭教師と、なかなか忙しい小学生時代だったと思う。

一時期、野球と相撲とサッカーをやっていたときは本当にいつもヘトヘトだった。普通に大会とかも毎週末かぶって出られてなかった。何事も過剰に詰め込み過ぎてしまう癖がこの頃から出ていたのかもしれない。

 

 その上、当時給食の時間のお昼の放送で、なぜか「映画『学校の怪談3』を毎日小分けにして上映する」という、全校生徒に大不評・阿鼻叫喚の叫び声が全校じゅうにこだまし、ゲロを吐くものまで居る始末…の狂気のイベントがあり、怖くて夜もあまり眠れなかった。疲労が蓄積して目の下に出来たクマは今も僕の顔にあり、チャームポイントの一つとなっている。結局、野球と相撲は辞めた。

 

 習い事の中で、習字なんかは役に立っていない部類で、字は本当に壊滅的に汚い。それこそ小学2年生ぐらいの字のままで、大人になっても重要な書類とか履歴書を書き続けている。

だから手書きのメモはあまり好きじゃない。なるべくどんな場面でも全部パソコンやスマホでメモれる時代が来ないか、と思っている。

ペン字もやっていたけど、当時教えてくれていた藤田先生には申し訳ないが本当に役に立てられていない。この前ニトリで配送を頼むとき、点を一つ多く書いて、自分の名前の漢字も間違えてしまった。これは習字が役立っていないというよりバカなだけか。

 

3.

 「役立っていない習い事」の中でのキングオブキングスが、小1から小5までやっていた英語塾(英会話)だった。

毎週木曜日の夕方に、隣町まで車で15分かけて行き、隣町の町民会館で1時間教わっていた。イーオンやNOVAなどのいわゆる王手ではなく、外国人の塾長が個人でやっているものだった。

月4回のレッスンのうち、奇数週は雇われている日本人の先生、偶数週は塾長が教えるというローテーションだった。

 

 塾長のジャンギー・ジラール(名前がキャラクターと一致し過ぎて今も覚えている)は、とても陽気な先生でカナダ出身だった。

洋画に出てくるTHE・外国人みたいな外国人で、金髪の前髪がカールしていてちゃんとアゴもケツアゴだった。

当時流行っていた、たまごっちの英語版でおやじっちに当たる隠しキャラ・サムっちの目をクリクリに可愛くしたような見た目だった。

(↓このページの右上の「海外版」って書いてあるやつ)

http://tamagotch.channel.or.jp/tamagotch/tamcol/tamcol1/tamcol1.htm

 

 ジャンギーはとても陽気で、子どもたちみんなに「ジャンギー!!」と呼び捨てにされ親しまれていた。日本語も達者で、アメリカンなセンスのギャグを日本人のツボに合うように調味して言う腕も持ち合わせていたので、保護者たちにも「陽気で面白い外国人」として人気があった。

顔芸や変な声、生徒イジリなども自由自在なのでいつも授業は笑いに包まれていた。唯一、ハリウッドスターのモノマネだけは、まだ生まれて数年の生徒たちには伝わらず、いつもスベっていたが、それでも自分の面白いと思うことをやり続けていたジャンギーは真のエンターテイナーだったと思う。(話変わってきてるな)

 

 日本人の先生たちの授業が比較的「勉強」っぽかったのに対し、ジャンギーは歌やゲームを取り入れ「楽しみながら英語を学ぼう」というスタンスだった。

 授業中の英語を題材にしたゲームでは、子どもたちに本気で勝利し、そのたびに「ジャンギージャンギー勝った♪さやかさやか(生徒の名前)負けた♪」という陽気な歌とダンスで、勝者の余裕を見せるのであった。甲子園球児なら高野連に注意されているだろう。今年の決勝戦でも「桐蔭桐蔭勝った♪金農金農負けた♪」と小躍りしている球児は誰も居なかった。教育が行き届いているからだ。

 僕はこのジャンギーの勝利の歌のフシをハッキリ覚えていて、モノマネもできるしめちゃくちゃ似てると思うんだけど、誰にも伝わらず披露する場もない。

 

 時々、児童英検などの検定ものがあり、その時期は対策として基本的に日本人の先生に文法や単語などを教わっていたのだが、ジャンギーだけ授業内容は変わらず英語版のかるたゲームをし勝利の歌をこだまさせたり、みんなでビートルズを歌ったりしていた。

児童英検はかなり簡単だった覚えがあり、事実そのクラスに居た6人ぐらいみんな受かっていた。

 

(続きます)