057 習い事が好き <結>
(↓からの続きです)
『ジャンギーの思い出』 -4-
8.
小学5年生になり、家庭教師が始まった。これも私塾で、近所の人4人を集めて、誰かの家で持ち回りで集団指導してもらうというスタイルだった。
ここでは、中学英語に向けて中1レベルの文法を教わったり、老齢の先生の慣習でアルファベットは筆記体で書いたりしていた。
家庭教師とダブルブッキングしていたりして、ジャンギーの英語塾には、時々しか通わなくなっていた。それと同時に、中学英語を学ぶうちに、低学年の時は楽しんでいたジャンギーのゲームや歌での授業が急に子供っぽく思えてしまった。
時々出ても、退屈だな~という様子で、ジャンギーの言うことにもあまり笑わなくなっていた。「ジャンギーの授業、意味ねえよ」と家で親に悪態をついたりしていた。
ある時、ジャンギーの授業の小テストで、今までは(ジャンギーには教わっていないし…)ということで、遠慮して書いていなかった筆記体で回答をした。
書いていると、肩を叩かれ驚いた様子で「Good!!」とジャンギーが親指を立てていた。その表情はおどけていたが、どこか寂しそうだった。
小1から通っていた英語塾は、結局その日で辞めることになった。ジャンギーにお別れらしいお別れもしなかったが、元気だろうか。オースティン・パワーズは、デラックス、ゴールドメンバーまで見ただろうか。
僕が小3ぐらいのとき、ジャンギーの子どもの赤ちゃんが塾に来たことがあったが、もう成人ぐらいになっていてジャンギーのように明るく育っているだろうか、とか時々考える。
9.
その後の僕の英語力は、外国人に道を聞かれて「あそこを右に折れて~」と言ってしまうぐらいの抜群のものだ。結局、英会話も全く役に立っていない。
でも洋画や洋楽や海外アニメの英語を多少でも聞き取れたりはするのは、ジャンギーのカナダ英語に触れていたからかな~と思う。
もしそうでなくても、こうしてジャンギーのお話ができるようになっていて、一応の思い出になっていることを考えると、やらされた習い事も悪くないと思う。
大人になってから「なるべくやりたいことをやって、嫌々やることはなくそう」と思い試行錯誤しているが、いたずらに誰かに勧められた遊びや、乗り気じゃないけど付き添いで行った場所とかが意外と面白かったりすることもある。
「やらされる」だけが人生の大部分を支配しているのは問題だが、少なくとも遊びや趣味の範囲では、今も時々「やらされる」のは悪くないかもしれない。柔軟に考えていけばジャンギーのような憎めない良い人にも知り合えることだろう。
<完>