012 知らない人と話すのが好き

『どこまで話しかけていいのか』

 

1.

 以前書いたテーマと若干似ているが、Tシャツが好きだ。前面に大きなプリントで好きなものがバーンと書かれているTシャツを身につけて暮らすのは、文字通り好きをまとっているような気持ちになるし、一日気分良く過ごせる。

 個人的に、背面に背負うのはあまりテンションが上がらないのでバックプリントのTシャツはそんなに世の中に要らないんじゃないのか、と思っている。

着ている最中自分にはバックプリントについての認識が薄れている状態で、周りの人たちだけ背面から見て、「~って書いてある」と思われるのは、背中に「バカ」という張り紙を貼る、いにしえのいたずらとそんなに変わらないのではないかと思うのだが、どうだろう。

 

 街中で良いTシャツを見ると、シンプルに「いいな~そういうのが好きな人なんだな~」と思う。

そして、それ以上にグッと来てしまい、俺も欲しいと思うぐらい惹かれると「そのTシャツどこで買ったんですか?」と聞きたくなる。

 これが、席同士の仕切りもなく、ビールケースの上に敷いた板の上に座って飲む、ハイボール280円の大衆居酒屋の隣の席の人だったら、話の切れ目にちょろっと聞いてもまだ違和感がないと思う。

 

 たいていそういう超グッと来るTシャツを見るのは街中だ。しかもそれが平日昼間の人がまばらな住宅街で、1対1ですれ違う人ならどうだろう。少し良心が咎めるというか、このシチュエーションなら急に話しかけられたらさすがに怖いだろうなと思ってやめてしまう。

Tシャツ以外でもいい服なら、どこで買ったか聞きたいな~と思うことがある。単純に「めっちゃいい服ですね…」と褒めたいだけのときもある。

結構異性に対してもある。「すいません、めっちゃいい服ですね…では!」と去って行ったらやっぱ怖いだろうな、と思って辞めている。僕だけの感情かも知れないし、逆に考えすぎかも知れないが。自分だったら褒められたら嬉しいけど、それも偏った考えかもしれないから…考えすぎなのか本当に怖いのか、人の意見を聞きたい。

 

2.

 自分が根暗なのかネアカなのかはわからない。シチュエーションによって全然喋らなかったり凄い喋ったりする。友達がいるとか普通に楽しいとか、喋る理由がない限り、人がいる場でも基本的にはほとんど黙っていることが多い。書いてて思ったけどこれ普通?

テンションを上げる理由がなければ特に無表情でいるので暗く見えると言われることもある。

 

 ただ、知らない人と話すこと自体は基本的に好きだ。23歳ぐらいのときに改めて認識してビックリしたけど、当然ながら知らない人にも、自分の知らない仕事の話とか好きなものの話とか初恋の話とかすごい場所でセックスした話とかがある。大きく言えばそれぞれ人生とか名前がある。時々、それが何億通りもあることに気づいてクラクラする。

知らない人と話さないとそれらの情報は知りえない。なんか今回は本当に当たり前のことばかり書いているのでは、と思っているが事実そうなのだ。

 

 なので、知らない人とスッと話せるバーやイベントは好きでたまに行く。

さっきまでの「知らない人」が、小一時間ぐらいでも多少「知っている人」になる感覚に、原始的な不思議を感じるし「名前も聞いてないけど、この人のすごい場所でセックスした話だけ知ってる」みたいな、職場や学校ではあまりないアンバランスな仲良くなり方をするのがシンプルに面白いと思う。

 

 以前スピルバーグが、マイノリティーリポートの挨拶で来日のとき、記者に「どんな能力が欲しいですか?」と聞かれこんなことを言っていた。って、だいたいの要約で書こうと思ったがソース元があったので引用する。

スティーブン・スピルバーグ監督&トム・クルーズ来日記者会見

 

- 私は自分以外の人に対してとても興味が湧きます。特殊な顔をしていたり、またはとても楽しい雰囲気をもっている人と出会うと「あ、あの人に1時間半くらいなってみたい」と思うことがあるんです。なので、一時的に他人になれる能力が欲しいです。 -

 

 知らない人と話して、ちょっと前まで全く知らなかった人の色々な話を聞いている時間って案外この能力を手に入れられたのとさほど変わらないんじゃないか?と思う時がある。

体験談を聞いているときは、映画を見るように、その人の出来事を自分のフィルターを通して考えている。その人の人生の一部を主観の範囲からのぞき見しているような感覚だ。

 もし、他人と入れ替わる能力があっても、スピルバーグが言うこの文脈からすると「あくまで感じているのは自分」で、「映画の脚本や創作のヒントにしたい」という意味合いも少し含まれているように思う。なので、最終的には自分のフィルターを通して考える、ということで一致しているように感じる。

 この能力を手に入れても入れ替わった人のその1時間半が本当に平凡で何も起こらない1時間半だったら、それはそれで楽しいし「他の人も日常ってこういう感じだよな~」と思うだろうけど、そこをすっ飛ばして、少なくとも人に話すぐらいの鮮烈な体験談を聞けるという意味では「知らない人と話す」ほうがインパクトはあるかもしれない。

 

 ただ、それを踏まえても街中でTシャツについて話しかけるのは怖くて、バーで話すのは良いということなのだろうか。これがTPOというやつか。こうなるとどこまでが話しかけていい場所で、話しかけちゃダメな場所なのか、境界線が気になる。

 

3.

 これだけ人が居て、これだけ色んな話があって、ただすれ違うのはもったいないよな~と思うことがある。お話に対して貧乏性なのかもしれない。

例えば、知らない人の好きなものがわかるだけで、何となくその知らない人の、人となりの輪郭が見えてくる、それだけでも結構面白いと思う。

 

 なので、ツタヤで『知らない人からレコメンド館』みたいのを作ればいいのではないか。

基本的なシステムは同じで、みんなズラーッと並んだ映画の棚の中から、気になったものを手に取りながらどれを借りようか探す。

 パッケージ裏を見て、スチル写真やあらすじを見て吟味して借りようか借りまいかの当落線上にあるやつを数分迷う、その時、隣にいる客が「それ面白いですよ!」あるいは「それマジでつまらないのでやめておいたほうがいいですよ。100円ドブです」と声をかける。

「理由はなぜですか?」と聞いて、好きな理由・嫌いな理由を話してもらう。

 それを聞いてより質問を掘り進めるのも良し、レコメンドしてきた人の他の好きな映画を聞いて、そのラインナップが自分とは絶望的に乖離しているから借りないでおこうとか、めちゃくちゃ一致しているから信頼できそうと思って借りる。数人の異なる意見を聞いても良い。

 例えばそれで、次に『知らない人からレコメンド館』で再会して、「この前あれ見ましたよ!」と併設されているドトールで語り合うも良し、殴り合うも良しだ。

 

 『知らない人からレコメンド館』と銘打ってるから、知らない人からレコメンドされたくない人は立ち入らなければいいので「声をかけられたくない人が無理やり声をかけられる」という事案も防げる。

ただのナンパ目的や一日中滞在して嫌がられる迷惑客を防ぐために、レコメンドは何回までという制限を設ければトラブルも少ないだろう。

ネット上のレビューコメントやレビューサイトよりも、双方向性があるところや実際に棚を見ながら具体的にディスカッションできるのが良いと思うし、映画好きの友達が増えるきっかけにもなると思うのだがどうだろうか。

 

 いずれにしても、俺が考えつくぐらいだから、それに類じたサービスはあるだろうし、レビューサイトあるじゃんと言われそうだし、「最寄りのツタヤが知らない人からレコメンド館しかないから不便」などの苦情で潰れるかな…考えてるうちに暗くなってきたからネクラなのかもしれない。

 でも、このビデオオンデマンド時代に、あえて人と人で話して映画の本来の楽しさを思い出させてくれるサービスで、レンタルショップが再起、みたいになるかもしれないからビジネスチャンスですよ!!ご連絡待ってます!!!って最後にポジティブに盛り返したからネアカなのかもしれない。ネクラネアカの判断ってこんなもんだろ

 

 この記事を見た、知らない人からのご連絡、お待ちしています。