013 「時々しか買わないものには金を惜しまない」のが好き

『requiem for the 日用品』

 

1.

 今回はとりわけ貧乏くさい話です。

 

 僕の中のハイパー小さいポリシーで、「時々しか買わないものには金を惜しまないほうがいい」というものがある。

23歳ぐらいの頃極限に貧乏で、どこまで節約できるかみたいなことをやっていたときに、ネットを解約してめちゃくちゃ不便になってみたり根本的に間違ったことをしていた。(そもそも仕事を変えたり、毎日飲んでいた酒を辞めたりしたほうがずっといいという当たり前のことに気づいたのはその後だった)

 

 その間違った節約習慣の中で一番不便を感じたのは、普段使っていたクレラップサランラップが無くなって、よくわからないスーパーのプライベートブランドのラップを買ったときだった。

 食品用ラップという寡占業界の中で、大手2社のクレラップサランラップを無意識的に選択していたときには、その品質の良さを当たり前と思い意識しないものだが、プライベートブランドのラップを買うと相対的に大手の製品がどれだけ優れているかがわかる。

 引き出してちょっと触っただけでなんか両面がザラザラしているし、すぐに切れるし、すぐに途中で巻き込まれて引き出せなくなる。

食品用ラップに求められる条件は「サラッとした使い心地・すぐにちぎれない丈夫さ・巻き込まれにくく引き出しやすい」の三拍子が最初に来ると思うのだが、その真逆の要素を全て揃えている。パワプロ99’開幕版の聖マリアンヌ学院の選手の初期能力じゃないんだから。

そのくせ量だけはかなり多い。使いにくいから量が多く感じるのかも知れないが…

ただ、その間違った習慣の中では「これも節約の一環…」と自分に言い聞かせ、最後まで使い切った。

 

 そのプライベートブランドのラップを使い切った後、断腸の思いで(と言っても数十円差)クレラップを買った。

引き出して一発目の使い心地、本当に大感動だった。今までコンクリートの上で寝ていた人が、数カ月ぶりにトゥルースリーパーにダイブしたような気分だった。

 

 今思ってもこの頃の思考回路にはゾッとするばかりだが、ラップがきっかけで、その完全に間違った節約習慣は辞めた。

そこから「めったに買わないで日常的にしばらく使うものには金を惜しまないほうがいい」という、これまた当たり前の考えを持った。ここ数回当たり前のことばかり書いているかな。

 

2.

 そこから数年経ち、今度は「時々しか買わない、日常的にしばらく使うものをプチ贅沢すると気持ちがいい」ということに気づいた。

例えば目薬だと、今までは480円ぐらいのドライアイ用のものを使っていたが、現在は1000円ぐらいのものを使っている。

 ロート製薬の養潤水という、PCやスマホの疲れ目用に開発された製品で、文章や曲作りで数時間パソコンを見っぱなしのことが多い自分には重宝している。初日使用しただけでかなり違いがわかった。もともと不眠気味なのも、目の疲れから来ていたようで睡眠の質も上がったように思う。

 

 その他、歯ブラシも98円のものを今まで使っていたが、400円ぐらいのデントヘルスに変えてから、もともと丈夫な歯が更に調子がいい。これも、使いはじめて一発で、歯茎が包み込まれてマッサージされる感覚がすごく心地よかった。磨けている感がちゃんとある。

 

このように、目薬や歯ブラシなど「普段から使って、贅沢してもある程度上限が決まっているもの」「小さな贅沢で違いがわかりやすいもの」に対してちょっと贅沢してみるとかなり気分がいいことがわかった。

これもなかなかに貧乏くさい話で恐縮だが、年収が1000000000000000000000000000000円でない限り結構有効だと思っている。自分の体調に恩恵が返ってくるし。

 

3.

 日用品とは須らくいつかお別れの日が来る。

自分は、しばらく愛用したTシャツやパンツを捨てるときに「今までどうもありがとう」と心の中で言ったり、独り言で実際に言ったりしている。

たぶん傍から見たら気持ち悪いよなあと思い、この習慣について人に話してみると、同じようなことをやっているという人がわりと居ることがわかった。

 

 その中で、僕は「歯ブラシなども捨てるときにありがとうと心の中で言っている」ことを伝えると、その習慣がある友達にも、それは言わないしおかしいと言われた。

曰く「歯ブラシは最初から定期的に交換する未来が見えているので、近い内に捨てられる運命だと思う。なので歯ブラシには言わなくてもいい」とのことだった。

 使用頻度や回数だけで考えると、下手なパンツやTシャツより接する機会が多いと思うのでおかしいと思ったが、今思うと友達の言うことも一理あるのかもしれない。歯ブラシにありがとうと言っているのは、プラコップや紙皿にありがとうと言うのとそこまで変わらないのか?Tシャツやパンツもいつか捨てるけど、「消耗品」というカテゴリにはしっくりこないし。

 

 それ以来時々、どの日用品まで今までありがとうを言う対象になるのかとたまに思うことがある。

以前、ラジオ『爆笑問題カーボーイ』の「思っちゃったんだからしょうがない」というコーナーで

藤岡弘、さんってオナニーが終わる度、丸めたティッシュを庭先に埋め「……受精させてあげられなくて、スマン!」と、泣きながら合掌すると思う。」というネタがあり、爆笑したのだが、

果てはティッシュやトイレットペーパーにまで言うことになるのだろうか。いまだに明確な答えは出ていない。

 

 僕は電化製品の調子が悪くなってきたときに、100均のクリーナーで拭きながら「いつもありがとう」と言ったりすることがある。

これも気持ち悪いかなあと思っていたら、ダイアン西澤氏がラジオで、バイクや車に同じようなことをしていると言っていた。そういう感謝を忘れているときに壊れたりすると思ってるから、忘れてるな~と感じたら「いつもありがとうな。今日も頼むで」と言ったりするとのこと。

 傍から見て気持ち悪くても、それで壊れないというげん担ぎでひとまず気分良く居られるから、言いたくなったら言っていいんじゃないかと今は思っている。あとだいたいこういう事してるとき一人だから誰にも見られていないので、そもそも気にする必要もない。

ただ、それを言い出したら、拭いている側の100均のクリーナーにも、捨てるときに謝辞を言わなければいけない気がしてくる。強迫観念になったらもうこの習慣は終わりだ。今から、今朝飲んだ牛乳のパックにありがとうと言ってこようかな。