027 工夫して遊ぶのが好き

『海辺の叙景』

 

1.

 僕は高1~高3まで寮に住んでいた。大変なこと(主にオナニーをする場所と時間の制約)はたくさんあったが、毎日友達がいて好きな時間に遊べるのはやはり楽しかった。

 

 寮では3年生になるまでTVモニターやパソコンの持ち込みが禁止だった。

それだけに、1年2年のときはガラケーがかなり強い情報収集&遊びのツールとなっていて、ガラケーの機能を使って目いっぱい遊んだり、文明の利器に頼らず工夫して遊びを考えたりして時間を文字通り潰していた。

 

 ガラケーの「フォトミキサー」という、予め用意された数種類のテンプレートに写メを当てはめて、そこにセリフを入れて保存できるという、今のスマホのアプリからすれば信じられないようなチープな機能を使って友達の写真に捏造的な文章を付けて送り合うのが1年生のとき10人ぐらいの間で流行っていた。

各社ガラケーによってテンプレートが違うので、人のテンプレートを借りて作らせてもらったりするほど大きなムーブメントだった。

いずれにしても、テンプレートの種類には上限があるので、その中で大喜利のように色々考えて友達に見せるのが楽しかった。

 

2.

 その他『沢井の携帯にみんなで一斉にメールを送ったら壊れるのか?』と言うことを、実際に沢井の目の前でやってみようとなり、10人がかりで、10分で500通ぐらいのメールを送ったことがあった。

携帯は機能の限界を越え徐々に受信しきれなくなり、パケット通信のダムが決壊したようにどんどん本体が熱くなって、真っ黒な画面になって動かなくなった。熱さも相まって、まるでトーストが焦げたようだった。

 

それで「へぇ~壊れるんだ~」と言って終わりである。沢井は困りながら笑っていた。タチの悪い小学生の遊びに当時最先端のテクノロジーが加わっただけだ。

 

 別の日には、海に行ってそこら辺に落ちていたタイヤを拾い、一人がエピソードトークを披露したらタイヤを海に投げ、次に話す人が水際に拾いに行く、ということを延々繰り返していたこともあった。

こんなことでもすごく楽しかった。本当に3時間ぐらい居たと思う。

小雨が降ってきてもやっていた。これで海に流されたら死んでも死にきれないだろう。たぶん地獄でも天国でもない、バカが集まる国に送られて、数千年バカ面を下げ続けることになるだろう。

とにかく頻繁に海に行っていて、とにかく喋っていたり、とにかく何か物を拾ったりしていた。

 

3.

 ある時は、休日の昼過ぎに、実家から送られてきたプリッツのファミリーパックをみんなで食った後、ファミリーパックの小分け袋が乗っていた台紙をひっくり返し土俵に見立て、『紙相撲選手権』をやったこともあった。

最初はベーシックな力士を2体、別の厚紙をくり抜いて作り、「懐かしの紙相撲」という風合いで楽しんでいた。

徐々に人が増え、ベーシックな力士に不足を感じ始めた16歳の僕らは、厚紙を好きな形にくり抜き力士を作ってエントリーさせ、トーナメント形式で戦っていくというルールを付け加えた。

 

 そのカスタム力士たちが予想外の動きをしたり、意外な強さを見せつけたりすることが楽しかった。

極端に巨漢の力士や、背が高い力士など誰でも思いつきそうなものに始まり、どんどん異型・人外の力士が増えていった。

 

 僕が作った「アームストロング君」(右手だけが極端にデカイ)は、はっけよいのこったの前に右手が地面について負けていた。

レミオ(レミオロメンのボーカルとドラムを足したみたいな顔をしている)が作った「極細君」は意外な粘りを見せトーナメントを勝ち上がったが、左足の細さが災いし、途中から骨折し安定感を失い、場所中にあえなく引退となった。

 最終的には、坂井が作った「戦車君」(戦車の形で下が横広のキャタピラーになっている)が異常な安定感を見せ、誰も勝てなくなりゲームバランスが崩壊し、『第一回紙相撲選手権 やなせ部屋場所』はお開きになった。

 気づくと、蛍光灯もつけていない部屋は真っ暗になっており、薄暮の時間になっていた。およそ4時間ぐらいゲラゲラ笑いながら紙相撲をやっていたことになる。

最初は同居人と二人でやっていたが、徐々に人が増えて8人ぐらいが部屋にいた。それも無意識だったから気づいたときびっくりした。

 

 「また今度やろう」と言って、カスタム力士たちと土俵を机の下にしまい、みんなで風呂に行った。第二回は開催されなかった。2年生に上がるときの部屋の移動の際、カスタム力士たちは全員引退して、焼却炉のチリとして第二の相撲人生を歩んでいた a.k.a. ゴミ箱に捨てられた。

 

4.

 そんなことを繰り返していつも遊んだり、夜中まで話したりしていた。あの頃の「何もないけど工夫して遊ぶ」習慣のおかげで、良くも悪くもコンビニや100円ショップで1時間友達と話して時間を潰せるような大人になった。待ち合わせで大幅に遅れてる人が居たり、イベントの隙間の時間を埋めるには便利なスキルである。

 

 工夫して遊べばどんな場所でも楽しい、というのは今でもモットーになっている。

その精神のまんま「この世にない架空の企業と商品の、架空のCMソングを作る」”キシリ徹”というユニットを谷本くんとやっているので、良かったら曲を聞いてみてネ🐭

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ちなみにフォトミキサーも、沢井の携帯にメール送って壊すのも、タイヤ拾いトークも、紙相撲も、谷本くんもやってました。

まさか10年以上こういうことばかりやっているとは、あの頃のタイヤ拾ってる俺たちに教えてあげたい。本当にあの海に自分が現れたらびっくりするだろうけど。そんで今の自分も一緒にタイヤ投げながら話してる様が目に浮かぶわ!!