080 滑舌が悪い、だけど喋るのは好き(前編)

『ぼくはヤナギサワ』(前編)

 

1.

 自慢じゃないが、滑舌が悪い。自慢できるものではないのでもちろん自慢ではない。

 自分なりに原因を考えた時に、舌が必要以上に横広で、楕円形に近い形になっているので舌っ足らずになりやすいというのが第一に来ていると思う。ある時、他の人の舌は大抵縦長だな、と気づいて軽くビックリした。

 

 これは、保育園の頃に「いかりや長介のマネ」と称して、下唇を手で抑えつけタラコ唇に成形して、本来の上唇は口の中にしまって、舌を上のタラコ唇がわりに出す芸を頻繁にやっていたことが影響しているのだろうか。

舌側が適応して、「お望み通り」とタラコ唇型になってしまったのかもしれない。

 

 そんなわけで大人になってからも滑舌が悪い+比較的早口という二重苦で、時々会話を聞き取ってもらえないことがある。

にも関わらず、長くコールセンターの仕事をしていた。喋ること自体は苦ではないからだ。

しかし冒頭に「担当やなせでございます。」と名乗ると、やなせたかし先生以外ではあまり聞き馴染みのない苗字ということもあり、十中八九正しく聞き取ってもらえることはなく「ヤマセさん」「ヤナギサワさん」と言われることが多かった。

 ヤナギサワは文字数からして全然変わっちゃってるが、機嫌を損ねられたりしても面倒なので訂正したことはただの一度もなかった。そもそも、あまり名前を覚えられても後々面倒だから、と低いテンションで言っていたことも関係している。普通に勤務態度としては0点で褒められたものじゃないが、事実そうだったのだから仕方ない。

 

2.

 自分が滑舌が悪いことを認知し始めたのは、19歳ぐらいの頃だった。

18歳~20歳まで、高校時代の友達と『荒療治(あらりょうじ)』というバンドを組んでおり、まあまあ頑張って曲を作っていた。

 

 ドラムのタニケンが、タムだけ持ってベースアンプの影から登場して歌いだしたり、5・7・5の変拍子にあわせて俳句を作って歌ったりする10分の曲があったり、あの年齢にしては結構面白いことをやっていたと思う。

当時プログレや、ナゴムやベルベッツに始まり国内外のアングラバンド・アートロック的なもの、あわせてクレヨンしんちゃんちびまる子ちゃんなどの主題歌集を聞き漁っていたので、そういう趣向が反映されていた。

今残っているものとして、ロクに演奏できていないライブ音源しか録音がなく、アルバムを作らなかったことがおしいのだが、とにかくやりたい放題やって結構楽しかった。酒も破滅的に飲んでいた。

 

 その荒療治は、自分の根底にある90’sJ-POP好きも反映されていたから、普通に流麗な歌モノとかも作って歌っていた。

19歳のときに、そういう曲で、ある楽器チェーン店のコンテストに出ようということになり、僕が電話でエントリーをした。

 

 「バンド名よろしいですか?」と店員さんに聞かれ、荒療治です。と答えた。

一瞬「?」みたいな間があって「あらりょーじですね?」と聞き返されたと思ったので、はい、荒療治です。ともう一度答えた。「わかりました~」と言われ電話は切られた。

 

 当日、コンテストの会場に行くと、スタジオの前に今日出場するバンド名が列挙されていた。

僕らのバンド名はなく、代わりに僕らのコピーバンドなのか、『アダリョージ』というバンド名が書かれていた。

何そのメキシコの挨拶みてーやつ。「メヒコ、メヒコ、アダリョージ」って言いながらマラカス振って踊ったろか。あのしゃぶしゃぶ鍋みたいな帽子かぶってよお、オイ!!!!!

この世にない単語すぎるって疑いの目を持て!!念の為今Googleで検索してみたけど、やっぱり何もひっかからなかった。

その日は、コピーバンド・アダリョージのメンバーとして僕は出場した。そこそこの演奏をしてオーディエンス賞みたいのをもらって嬉しかった。でもこれはアダリョージの名誉であり、荒療治の名誉ではないのであった。

 

 その一件から「どうやら自分は滑舌が悪いらしい」と自認し始めた。

荒療治のドラムのタニケンと、アダリョージのボーカルの僕が10年の時を経て今やっている、架空のCMソングを作るユニット『キシリ徹』の曲もよろしくね。

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あの頃の反省を生かして、録音残しまくり!!

 

(続きます)