069 向上心のない飲食店が好き <下>
(↓前回からの続きです)
『たこ次郎の思い出』(後編)
4.
平岸ゴールデン街で初めて訪れたのが『たこ次郎』という店だ。
8畳弱の店内に、J型のカウンターで7席ぐらいの小さなたこ焼き屋さんだった。
メインは、ソース・ネギマヨ・ネギポン酢味から選べる、(銀だこより一回り大きい)たこ焼き6個+ビールで、なんと580円という破格の安さだった。
当時、バイトもせずただただ飲んで終わっていた身として、この価格設定はかなり嬉しかった。味もめちゃくちゃうまい。ビール単品でも280円だったし、日本酒も1合200円。
極めつけは、壁に貼ってある「100円メニュー」で、6種類ぐらいあり、「三角形に握ったおにぎりにコンソメを塗ってカリカリに焼いて、ネギマヨをかけただけ」のネギマヨおにぎりがめちゃくちゃうまかった。
その他、だし汁にたこ焼き三個が浸かったやつとかも100円という価格。
たこ焼き+ビールを二回ぐらい頼んで、後は100円メニューと日本酒でつないでも2000円行かないことがザラだった。
今日まで、サイゼリヤ以外でここまで満足感があって安い店をたこ次郎以外知らない。
そして、価格と味以外にも、店主の「北村さん」とダラダラ話すのが我々の楽しみだった。
北村さんは数年前に関西から北海道へ出てきたらしい。本場関西の味を北海道に伝えたい、みたいな野心があるわけではなく、「たこ焼き屋ぐらいしかでけへんのでね。仕方なくやってますわ」という理由でたこ焼き屋を始めたと言っていた。思えば、意識の低い飲食店が好きなのは、たこ次郎が源流かもしれない。
北村さんは僕らの8つぐらい年上と記憶しているが、異常に腰の低い人だった。いつもニコニコして「えらいすんませんす…ヘヘ」というのが口癖だった。
顔は、お祭りのたこ焼きの屋台に書いてあるタコのイラストにソックリだった。向かいの日本料理屋の女将さんにも「たこちゃん」と呼ばれて親しまれていた。
背も160cmぐらいしかなくキャラクター感が凄かった。ピン芸人だったら『テンタクル北村』という芸名で、たこ焼きあるあるを話しているだろう。
腰の低い北村さんは意識も低く、更にかなり虚無的な思想で生きていた。
「生きる意味なんかね、正直ない思いますわ。それでも仕方なく生きていく他ないんちゃいますか」というニヒルな発言が端々に見られた。それがハタチそこそこの我々には、ノーフューチャーでカッコよく見えた。僕らは、何故か20歳のときのほうが、やたら”人生とは”みたいの言いたがる奴らだったな。今思うとマジで恥ずかしい。
そういう話以外でも、「昼寝あるある」とか意識の低い話で笑いあって毎回楽しい時間だった。
5.
いつも腰の低い北村さんに、友達が「北村さんって絶対Mでしょ!?」と勢いで聞いたことがあった。
すると、いつものニコニコ顔と低姿勢で「本当はめちゃくちゃドSで、いつもどおりだったら絶対誰ともしゃべれないしキレまくってしまうから真逆の人格を演じて必要以上にニコニコしてるんですわ」と語っていた。
家ではいつも独り言を言って、なんなら枕とかも殴っていると言っていた。笑ったけどちょっと怖くはあった。
そんな北村さんの店に集まる人は、変わった人・変わったエピソードを持つ人が多かった。
・入って5秒ぐらいで取っ組み合いの喧嘩しはじめて追い出された2人組(北村さんが「お代は結構です!」って言ってたけどそもそもお代が発生していなかった)
・ガラケーに非通知で頻繁に男が自分でシゴいているテレビ電話がかかってくる女性(みんなでその動画を見た)
・自称・キリスト教の神父さんで相田みつをみたいなことを俺たちに言ってくる人(「失敗しないことが、一番の失敗なんだよ。僕は失敗も出来ずにこの歳まで来てしまったなあ…」と言っていたのを覚えている)
など様々だった。
一度、友達が「居酒屋のトイレで見知らぬゲイの人がいきなり後ろに現れてちんこを褒められた。怖かった」という話をしたら、カウンターの端にいた女装をしている方に説教をされたこともあった。
また別の日には、その友達が、歯が2本しかないおばあちゃんに今からホテル行こうと腕を抱き回されたこともあった。
そのおばあちゃんは、数分後に自ら、「覚せい剤をやっている」とカミングアウトしてきた。
人生ゲームの人間のコマぐらいの短すぎるシケモクをずっと吸っていた。
6.
そんな豊かな客層と、低価格が災いして、店はどんどんと弱体化していった。北村さんの枕を殴る頻度も物凄く上がっていただろうことは想像に難くなかった。
店が不定休になり、営業していない日が増えた。
時々空いている日に行って北村さんに話を聞くと「今は派遣で働きながらこの店やってるねん」とのことだった。そこまでして低価格を維持してくれていたらしい。
その話の最後に、「もうそろそろこの店も終わりかな…」といつものニコニコ顔で言っていた。
20歳の若者にとって「はじめての行きつけの店」だったし、味も北村さんの人柄も好きだったので、潰れてほしくないと思っていた。
ある日、一人でたこ次郎に行ってみると、休みの看板もなく、店の中が真っ暗だった。
あ~とうとう終わりか…と思ったが、一縷の望みを捨てられず、店のドアに手をかけた。
すると、思いがけずドアがスライドし開いたのだった。
次の瞬間!(世界まる見えのナレーション)真っ暗闇の厨房から垂直に北村さんが起き上がり目の前にそびえ立った。ものすごい悲鳴を上げてしまった。
今何してたんですか?と聞くと「寝てましたわ」との答え。
厨房は普通にコンクリートの床で、そこに直に寝ていたとのことだ。
大丈夫ですか?と続けて聞くと「いや、もう本当に経営がやばいんで、お客さん来てないときは電気を消してるんすわ。そんで仕込みとかも何も出来ないからとりあえず寝てた」とのこと。
その電気代の節約で店が維持できるなら、と思ったが、電気代は月間20円しか変わらなかったそうだ。
それで仕込みも出来なくなってるし、本当に(北村さんの思考能力含めて)色々限界だったのだろう。
店は程なくして潰れた。予兆がありまくりだったので、あまり驚かなかった。それでも残念な気持ちには変わりなかった。
いまでも時々、あのネギマヨたこ焼きと、100円メニューのネギマヨおにぎりの味を思い出す。
北村さんは元気にしているだろうか。虚無的な気持ちが爆発し、枕を殴りまくる捨て鉢な生活になっていなければいいが、とたまに考える。
意識の高い飲食店が、「味を追求して追求してこんなにウマイものが出来ました!!」というメニューを味わうのも好きだが、
その一方で、ヤキソーバンやたこ次郎のような、向上心のない飲食店の、ひらめきと手癖だけで作った料理・変わらない佇まいを含めた「味」が好きだ。
こういう店がなるべく駆逐されずに生き残れる方法はないものだろうか。
店主の向上心がないから積極的な宣伝もしなければ、クラウドファウンディング的な最先端の仕組みに手を伸ばすこともないだろう。
逆にそういった積極性を持ってしてしまえば、向上心が生まれて、その「味」が壊れてしまう。
いつも、貧乏や、さもしさと常に隣り合わせであるので、向上心を持たないでいるのもラクではない。
これを書いている今、とてもたこ次郎を食いたい。俺が二代目たこ次郎を開業して、変わらぬ向上心のなさで店を維持したい、という向上心が今、芽生え始めている。えらいすんませんす!!へへ…
<完>